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ヴェルキ枢機卿を迎えて挨拶と謝辞(岡田武夫大司教)

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 2016年3月6日、四旬節第4主日のミサ中、東京カテドラルにて

 (ミサ開祭の挨拶)

皆さん、本日、四旬節第4主日、わたしたちは友好関係にあるケルン教区から四人のお客様をお迎えしております。ご紹介申し上げます。

ライナー マリア ヴェルキ枢機卿様、一昨年ケルンの大司教に就任されました。

ドミニク マイエリング神父様、ケルン司教総代理でいらっしゃいます。

ルドルフ ゾルツバッハ氏は外国援助部門の責任者です。

吉田慎吾さんは長い間、ケルン教区と東京教区の連絡を担当してくださってこられた方です。

今日は教皇庁大使館からジョセフ チェノットゥ大司教、そしてパヴェル オビエジンスキー一等書記官も参加してくださっています。

ヴェルキ枢機卿様はこの度、長い時間をかけて東京を訪問くださったのは、東方の「三博士」の聖遺物を東京カテドラルに献納してくださるためです。

「三博士」とは「主の公現」の日の福音に登場する占星術の学者です。西洋では「三賢王」と呼ばれています。博士たちはベツレヘムに来て幼子イエスを拝み、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた、と福音書は述べています。(マタイ2・11参照)

後に三人の名前も伝えられるようになりました。三人は、メルキオール、バルタザール、カスパールと言います。

ところで、このケルンの大聖堂には「三博士(三賢王)」の聖遺物が祀られています。ケルン教区の大司教であるヴェルキ枢機卿がこの聖遺物とともに、わたしたちの東京教区を訪問してくださったのです。

三博士は東方から来たのですが、さらに東にあるこの日本にもメシア=キリストの光が届きました。わたしたちは御子キリストの光を受けて、その輝きを人々に表し伝えるという使命を受けています。

わたしたちは黄金、乳香、没薬は持っていません。その代りに日々の生活すべてを、ミサにおいて、主イエスを表すパンと葡萄酒とともに父である神に献げるのです。

わたしたちを通してキリストの復活の光が現れ、伝えられますように、罪人である弱い人間を通して主キリストのみ顔が示されますように、わたしたちが神のいつくしみの目に見えるしるしとなることができますように、祈りましょう。 

(閉祭における謝辞)

閉祭に際し、あらためてヴェルキ枢機卿様とケルン教区の皆さんに感謝を申し上げます。

本日わたしたちは「三博士」(三賢王)の聖遺物を聖フランシスコ・ザビエルの聖遺物の隣に安置いたしました。この「三博士」の聖遺物は、東京―ケルン両教区友好の目に見えるしるしです。この大聖堂を通して、三博士の信仰、知恵、勇気が多くの人に伝えられますように、また現代世界の東西の交流、理解、協力が前進しますように、現代世界の平和への貢献が一層前進しますよう、祈ります。

そしてこのカテドラルが希望といつくしみのしるしとして、多くの人の心の安らぎ、よりどころとなることを心から願っています。

今日は皆さんありがとうございました。

 

 

 

 

 

 


受難の主日 (2016/3/20 ルカ23章1-49節)

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[聖書朗読箇所]

教会暦と聖書の流れ

4つの福音書それぞれに受難物語がありますが、「受難の主日」にはマタイ、マルコ、ルカが3年周期で読まれます(ヨハネ福音書は毎年「聖金曜日」に読まれます)。なお、今日の受難朗読には、ルカ22章14節~23章56節の長い形もありますが、ここでは短いほうを取り上げます。地上の生涯の終わりに、イエスは弟子たちとともに過越の食事をし、オリーブ山で祈った後、逮捕され、ユダヤの最高法院で裁判を受けました(22章14-71節)。その後、ローマ総督ピラトのもとに連れて行かれるところから、23章が始まります。

福音のヒント

0326(1)  非常に長い朗読箇所ですが、ローマ総督ピラトによる裁判の場面(1-25節)とイエスが十字架にかけられる場面(26節以下)とに分けて考えましょう。前半では「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」というピラトの宣言が、4節、14-15節、22節と繰り返されています。イエスが何の罪もないのに処刑されることになった様子が伝えられています。

この短い「福音のヒント」の中で、すべてのことを説明することはできませんので、特に後半のルカ福音書に特徴的な部分に焦点をあててコメントすることにします。

(2) ルカ福音書の十字架の場面は、マルコ福音書を基にして、そこにいくつかの印象的なエピソードを付け加えています。その一つは28-31節です。イエスはご自分のために泣いているエルサレムの女性たちを逆に慰めます。29-30節はこれから起こる大きな災いを予告する言葉です。その災いは、子どもがいれば、自分の苦しみだけでなく、自分の子どもについても苦しまなければならないから、子どもがいないほうがましだ、と思わせるほどのものです。さらにそれは自然災害による死などよりももっと大きな苦しみなのだ、というのです。31節の「『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか」の「生の木」は永遠のいのちを持っているはずの罪のないイエスのこと、「枯れた木」は死んだも同然の罪びとである普通の人間のことでしょう。

次にルカだけが伝えるのは、34節の祈りです。「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです』」この箇所は重要な写本で欠落しているものがあるので、新共同訳では〔 〕の中に入れられています。しかし、本来のルカ福音書になくて後から書き加えられたと考えることには無理があるでしょう。むしろ、写本を書き写した人の誰かが、「イエスを十字架につけた人々の罪だけは絶対にゆるされない」と考えて省いてしまったと考えたほうが自然です。

(3) 40-43節の、一緒に十字架につけられた犯罪人のうち、一人が回心してイエスに救いを願う話もルカだけが伝えるものです。「あなたの御国(バシレイア)においでになるときには」は、別の写本では「あなたが王権(バシレイア)をもっておいでになるときには」と読めますが、いずれにせよ、この人はイエスを「キリスト(神が油注がれた王)」として認め、その救いにあずかることを願っていることになります。

あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」とイエスは約束します。「いる」は原文では未来形が使われていますが、遠い将来のことではなく、それが「今日」のことだというのが特徴的です。ルカ福音書の中で「今日」という言葉は、「救いが今実現している」ことを強調する言葉です(ルカ4章21節、19章9節など)。「回心した今」、「苦しみの中でイエスとともにいる今」こそが救いの時だと言うことができるのかもしれません。
ルカが伝えるイエスの最後の言葉は、46節「父よ、わたしの霊を御手(みて)にゆだねます」です。これもルカ福音書だけが伝える言葉です。詩編31編6節に似た言葉があります。

(4) マルコ福音書の受難のイエスは、ただ苦しむだけの無力な人になってしまいます。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15章34節)という叫びは特徴的です。すべての人から見放され、神からも見放されたような姿で死を迎えるのです。それは、「仕える者」として自分を無にして、苦しみのどん底まで降りて行かれる神の子・救い主の姿だと言えるでしょう(マルコ10章43-45節参照)。

ルカの伝える受難のイエスも確かに無力で苦しむ人です。しかし、ルカは、これまで見てきたようなエピソードをとおして、そのイエスが最後の最後まで人々を愛し続け、神に信頼し続けた姿を伝えようとしています。無実の罪で死刑になる、こんな不条理なことがあれば、ただ怒りや憎しみ・恨みに支配されてしまうのが人間の普通の姿かもしれません。自分のことしか考えられなくなり、絶望して、神を呪い、人を呪うのが当然かもしれません。しかし、十字架のイエスはそうではなかったのです!

(5) 傍(はた)から見れば、イエスの十字架の姿は神からも人からも断ち切られた姿にしか見えなかったでしょう。しかし、イエスはその中で「愛という人とのつながり」を「信頼という神とのつながり」を生き抜きます。そのイエスの歩みは、決して肉体の死で終わるものではなかった、むしろ死を超えて、イエスと神との絆(きずな)・イエスと人々との絆は完成していった!そう信じるのが、キリスト教の「復活」という信仰です。

すべてを奪われたように見えても、それでも最後まで人を愛することはできる、それでも最後まで神に信頼して祈り続けることはできる。このルカ福音書が伝える十字架のイエスの姿はわたしたちの現実にとって光になるでしょうか。わたしたちもすべてをはぎ取られ、何もかも失ってしまい、自分では何もすることができなくなることがあります。それでもまだできることがある、と十字架のイエスは語りかけているのではないでしょうか?

 

ダウンロードできます。

「福音のヒント(Word)」   ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。
「福音のヒント(PDF)」

東日本大震災5周年追悼・復興記念ミサ説教

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2016年3月11日(金) 東京カテドラルにて

[聖書朗読箇所]

説教

今日、東日本大震災が起こってちょうど5周年を迎えました。東日本大震災により多くの命を奪われ、また多くの人が行方不明になり、さらに津波によって福島第一原発事故が起こりました。東日本大震災によって、日本列島に住む人だけでなく、世界中の人が大きな、深刻な衝撃を受けたのです。
いまなお多くの人々が心身の傷に苦しみ、不安を抱いていいます。依然として、多くの人々は故郷を追われて、不自由で不安な避難の生活を余儀なくされたのです。
紛れもなく、東日本大震災という出来事には天災と人災の両面があります。地震と津波は自然災害ですが、しかし原発事故は人間が引き起こした災害です。

大震災に出会った日本に住む小学2年生の少女が教皇ベネディクト16世に質問を送ったところ、驚いたことに教皇は丁寧にお答えになり、その答えが公表されました。
日本に住む一少女の質問に教皇ベネディクト16世が愛を込めて丁寧にお答えくださったことをわたしは決して忘れません。
少女の質問は、「どうして日本の子どもは悲しい、怖い思いをしなければならないのですか」ということでした。
教皇の答えは、「それはわたしにも分かりません。しかし信じてください。神様はあなた方の苦しみは御存じです。神様にいつもあなた教方と一緒にいます。そのわけが分かるときがいつかくるでしょう」という趣旨でありました。(『教皇ベネディクト一六世  霊的講話集2011 イエスについて、参照』
わたしはこの5年間、この少女の質問は、「地震と津波はどうして起こったのですか」という趣旨であると思ってきましたが、やがって、これはわたしの思い違いである、とはっきり思うようになりました。
彼女は「福島第一原発事故」を含めての「この恐ろしい大災害がどうして起こったのか」と質問したのだと思います。
自然災害がおこることをわたしたちは止めることができません。しかし人災は別です。原発は人災です。人災である原発事故は人間の責任です。
わたしたたちはどうしたらいいでしょうか。そのためには、原子力発電所の安全を確保して、絶対に原発事故が起こらないようにするか、あるいは、原発自体を廃止するしか、ないと思います。
原子力の平和利用と言いながら人類は何度も原発事故を起こしてきました。原発は安全であるという主張を信用することはできません。原発事故を起こさないためには原発自体を廃止するしかないのです。
そもそも原発自体が、人類の思い上がりであるのです。それはあたかも創世記にでてくる「バベルの塔」のようなもので、人類の神への反抗、不従順、不信仰のしるしなのです。
2011年11月8日、仙台に集まった日本の司教たちはこの事故についてメッセージを発表し、即時廃止を訴えました。
「わたしたち人間には神の被造物であるすべてのいのち、自然を守り、子孫により安全で安心できる環境をわたす責任があります。利益や効率を優先する経済至上主義ではなく、尊いいのち、美しい自然を守るために原発の廃止をいますぐ決断しなければなりません。 ・・・新たな地震や津波による災害が予測されるなか、・・・原発が今回のような甚大な事故を起こす危険をはらんでいます。自然災害に伴う人災を出来る限り最小限にくい止めるためには原発の廃止は必至です。」
またわたしたちの反省と自戒の念を含めて次のようにも訴えました。
「わたしたちキリスト者には、何よりも神から求められる生き方、つまり「単純質素な生活、祈りの精神、すべての人々に対する愛、とくに小さく貧しい人々への愛、従順、謙遜、離脱、自己犠牲」(パウロ6世の「福音宣教」よりの引用)などによって、福音の真正なあかしを立てる務めがあります。」(以上、2011年11月8日 仙台にて、 日本カトリック司教団 )
今日の福音でイエスは言われました。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11・28-30)
わたしたちは、このイエスの招きに応えて、主イエスからや安らぎをいただき、イエスに学び、神の愛の実行に努めなければなりません。いつくしの神のみ顔である主イエスは人々の痛み、嘆き、苦しみをご存知です。
祈りましょう。
「どうか主よ、わたしたちにいつくしみと癒し励ましの恵みをお与ください。ひとり一人が自分の軛を負いながら、ともに人々の苦しみを担うことができますよう、聖霊を注いでください。」
今日の第一朗読でパウロは教えます。
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。・・・不義を喜ばず、真実を喜ぶ。7すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。」(一コリント13・4-8)
ところで先日東京カテドラルに三博士(三賢王)の聖遺物を持参されたケルンのヴェルキ枢機卿は、ドイツへ避難してきた膨大な難民を受け入れることについて熱を込めて語っています。※1
難民を兄弟姉妹として受け入れることはパウロの教える神の愛の実行そのものです。具体的に、衣食住の問題、さらに難民の教育と仕事の世話などの課題についても枢機卿は話しました。
神は愛です。神の愛は聖霊によってわたしたちの心に注がれています。(ローマ5・5参照)
この厳しい現実の中で神の愛を信じ続け希望し続け、愛を実行する恵みをお祈りいたしましょう。

※1: わたしどものホーム・ページにある「教区からのお知らせ」の欄で、ヴェルキ枢機卿が行った説教の日本語訳を見ることができます。

東京教区ニュース第330号

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聖遺物を携えて東京へ 〜ヴェルキ枢機卿の訪問〜

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 ヴェルキ枢機卿

2016-01-25 - Gebet am Dreik_nigsschrein-1

司教座参事会が作らせ、聖遺骨を納めた聖櫃
 
一昨年の東京カテドラル献堂50年にあたり、ケルン教区からヴェルキ枢機卿の代理として派遣されたボスバッハ師の予告(ヴェルキ枢機卿自身による東京教区訪問、その際、ケルン教区の宝である三賢王の聖遺物を携えて来ること)が実現する時が近づいた。
ヴェルキ枢機卿を迎えてのミサと聖遺物安置式は、3月6日(日)午後2時30分より、カテドラルで行われる。
古くからライン河の交易で栄えた町の一つがケルンである。4世紀には、この町に聖堂が建てられ、後に、この聖堂に司教座が置かれた。現在の大聖堂は、1248年に着工され、途中、長期の工事中断の時期をはさみ、最終的に1880年に完成。
主の公現に登場する三賢王(聖書では占星術の学者たち)の聖遺骨がミラノからケルンに移されたのが、1164年。ケルン大聖堂の司教座参事会が聖遺骨の安置のために聖櫃を作らせたのが、1200年。大聖堂建設着工が1248年なので、ケルンに三賢王の聖遺骨が移されてから、大きな変化が起こり、ヨーロッパ中から多くの巡礼者が集まるようになった。
ケルン教区を代表し、自分たちの宝の一部を東京教区に託すヴェルキ枢機卿の思いに心を馳せ、この思いに応える決意をささげたい。  

ヴェルキ枢機卿を迎えてのミサ・聖遺物安置式

日  時  2016年3月6日(日)14:30
場  所  東京カテドラル
      関口教会聖マリア大聖堂
主司式  岡田武夫大司教
説  教   ヴェルキ枢機卿
※ご一緒にケルン教区への感謝の意向をおささげいたしましょう。   

思いつづける3.11

日時 2016年3月11日(金)
場所 東京カテドラル関口教会  聖マリア大聖堂
プログラム パイプオルガンコンサート
13:30 演奏:青田絹江
追悼・復興祈念ミサ
14:30 黙想
14:46 黙とう
黙とうに続いてミサ
主司式 岡田武夫大司教 

教皇フランシスコの呼びかけに応え、世界のキリスト者と心を合わせて祈る

主にささげる24時間
日時 2016年3月4日(金)19:00〜5日(土)19:00
場所 東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂
スケジュール
4日(金) 19:00〜20:00
導入の講話
講師  英隆一朗 神父(麹町教会助任司祭)
20:00〜翌6:30 聖体顕示・礼拝
20:00〜22:00 ゆるしの秘跡あり
5日(土) 07:00 ミサ(四旬節第3土曜日) ミサ後、聖体顕示・礼拝再開
08:00〜10:00 ゆるしの秘跡あり
15:00 共同回心式
17:30 聖体顕示・礼拝終了
18:00 ミサ(四旬節第4主日)
※部分参加、それぞれの場で、心を合わせて祈るスタイルもあり。 

キリスト教一致祈祷週間

2016年キリスト教一致祈祷週間(1月18日〜25日)の祈りは、北ヨーロッパにあるラトビアの教会によって準備された。キリスト教の盛んな国で、プロテスタント、正教会、カトリックの多教派が混在する。ユダヤ教の方もいる。ペトロの手紙第一、二章九節「主の力あるわざを、広く伝えるために招かれて」をもって、キリスト者の祈りを、一致に向け促している。kn_33021
この意向のもと、今年もまた、日本キリスト教協議会(NCC)・東京教区合同の「東京集会」が、1月17日(日)午後2時半より、日本聖公会三光教会(品川区旗の台)において開催された。この地に集まるのは二年ぶりとなる。
主司式は小橋孝一牧師(日本キリスト教協議会議長)、聖書・福音朗読は神﨑和子牧師(三光教会司祭)、説教は幸田和生司教。kn_33024
聖公会伝統の鐘の連打の後、オルガンの音が鳴り響き、荘厳な雰囲気のうちに、ロウソク(世の光)、聖書(みことば)、塩(地の塩)が祭壇に運ばれ、礼拝は始まった。
司式者の祈りと会衆の祈りが交互に応答し、歌を共に歌い、祈る。
幸田司教は説教で、自らの信仰体験を率直に語りながら、「出会いによって」偶々この教派に招かれたこと、きっと誰もがそのような形で、各教派に招かれ、イエスと出会い、イエスと共に生きている、決して、どの教派が正しく、どこかに理想的な教会があるということではない、たくさんの教派があることは、キリストの豊かさともいえる、それぞれの教会にあって、主において、一つの民として、使命をもった民として、生きる、そうした私たちがこうして一つに集まって祈る、ラトビアの教会と心を一つにして祈る、これはとても素晴らしいことだ、と話された。kn_33023
曇り空のとても寒い日であったが、プロテスタントより12、カトリックより15の施設・教会から、70名の方々が参加され、熱く祈った。
礼拝の献金は、ラトビアの教会のために捧げられ、5万5千812円となった。なお、現在、ラトビアの教会と日本の教会には、カトリックもプロテスタントも直接的なつながりをもっていない。そのためこの献金はNCCに託された。祈りの思いと共に、責任をもってラトビアの教会のため届けられる。
礼拝後、15時半より三光教会の会館において茶話会が開かれた。祈りを一つにした方々と、受付、会場準備、オルガン、懇親会等で尽力下さった日本聖公会三光教会、NCCスタッフの皆様がそろって共に歓談し、16時半までに祈りの盛会は終わりとなった。 

主が触れてくださる 世界病者の日ミサ

今年の「世界病者の日ミサ」は“主が触れてくださる”というタイトルのもと、2月11日に東京カテドラル聖マリア大聖堂で、午後1時30分から開かれた。
さまざまな病気や、貧困、抑圧、悔恨などで苦しむ人たちのために祈り、医療、福祉施設で働く人たちを励まし、愛や癒しをもたらす教会の役割を考えるミサで、岡田武夫大司教主司式のもと司祭・助祭の共同司式で行われ、およそ500人が参列した。当日は昨年につづく晴天であり、暖かな日の光が祭壇にさしこむ祈りの時となった。kn_33022
退堂前に教区福祉委員会委員長・豊島神父によって福祉委員会ならびにこのミサの意義について改めて話があり、その流れでミサ後、関口会館で懇親の茶菓の席が設けられた。会場に多数の人が立ち寄り、大司教を中心に交わりの時間をもつことができた。  

2016年度司祭人事異動(第1次)(カッコ内は現任務)1月10日付

関口教会主任司祭  西川 哲彌師(浅草教会・上野教会主任司祭)
浅草教会・上野教会主任司祭  晴佐久 昌英師(多摩教会主任司祭)
成城教会主任司祭  山本 量太郎師(関口教会主任司祭)
但し、山本師の着任は2016年5月末。着任までは、助任司祭の古郡忠夫師が成城教会に留まります。
西千葉教会・千葉寺教会主任司祭  福島 一基師(成城教会主任司祭)
西千葉教会・千葉寺教会助任司祭  グエン スアン ティエン師(西千葉教会助任司祭)
西千葉教会協力司祭  小林 敬三師西千葉教会主任司祭)
目黒教会主任司祭  マルコ・アントニオ マルティネス師(千葉寺教会主任司祭)
目黒教会協力司祭  泉 安廣師(本部協力司祭)
CTIC副所長・目黒教会協力司祭  高木 健次師(高幡教会主任司祭)
八王子教会主任司祭・高幡教会 教会管理者  辻 茂師(八王子教会主任司祭・立川教会 教会管理者)
八王子教会・高幡教会助任司祭  ロールド ザビエル師(浅草教会・上野教会助任司祭)
立川教会主任司祭  門間 直輝師(立川教会助任司祭)
築地教会主任司祭  レオ シューマカ師(目黒教会主任司祭)
築地教会の教会管理者であった高木賢一師は、本来の役職である教区本部事務局長・法人事務部長、及び、大島教会担当に戻ります。
秋津教会主任司祭  天本 昭好師(北町教会主任司祭)
多摩教会主任司祭  豊島 治師(秋津教会主任司祭)
成田教会主任司祭  関 光雄師(銚子教会・佐原教会主任司祭)
銚子教会・佐原教会主任司祭  森 一幸師(八王子教会助任司祭)
北町教会主任司祭  田中 昇師(目黒教会助任司祭)
病気療養(千葉寺教会居住)  坂倉 恵二師(成田教会主任司祭)

2016年度司祭人事異動(第2次)(カッコ内は現任務)2月8日付

教区本部事務局次長・聖園幼稚園園長・本郷教会 教会管理者  浦野 雄二師(本郷教会 教会管理者)
関口教会助任司祭・本部典礼祭儀担当・本郷教会協力司祭等(原則として、関口教会に居住)  古郡 忠夫師(成城教会助任司祭)
※成城教会・新主任司祭である山本量太郎師が着任する2016年5月末まで、成城教会に居住し、同教会助任司祭を継続。
さいたま教区へ転任  オリビエ シェガレ師(本部協力司祭)
 

CTIC カトリック東京国際センター通信 第197号

三カ国語のフントス

「フントス」はCTICが発行しているスペイン語圏とポルトガル語圏の信徒のための司牧通信ですが、最近その記事はスペイン語、ポルトガル語だけではなく、日本語でも書かれています。
「フントス」の発行に携わっている、ホアン・マシア神父に、三カ国語でフントスを発行する理由について聞きました。マシア神父は東京教区内のいくつかの教会でスペイン語・ポルトガル語のミサを担当しています。お話を聞くと三カ国語で作られている「フントス」には、宣教者・司牧者としてのマシア師の思いがこめられていることがわかります。
「自分の国の言葉でミサに与りたいという人々のニーズに応えてサービスを提供するだけなら、外国語のミサを増やしていけばよいことになりますが、具体的な司牧となると、違ってきます」とマシア師は言います。マシア師の念頭には、いつもミサに集まっているすべての人にとって、そこで朗読されるみ言葉や、行われる式の意味がわかりやすいように、ということがあるようです。
スペイン語・ポルトガル語のミサには、必ずしもこれらの言語を理解する人だけが参加しているわけではありません。その時間が都合がよいから参加しているという日本人やスペイン・ポルトガル語圏以外の国の人達もいます。
マシア師はこういう人たちの参加も大切だと考えています。例えば、ポルトガル語のミサが小教区とは別のブラジル人のグループのミサという位置づけではなく、主にはポルトガル語でおこなわれるが、その教会の午後1時のミサとして、他の日本語のミサと同じように考えられるべきだというわけです。また、外国語のミサに参加する人の、日本で生まれ育った子供たちや日本人の配偶者たちもいます。これらの人たちには日本語の方がよくわかります。そういう参加者のためにマシア師は外国語のミサを司式する時でも、適宜日本語をおりまぜて説明したり、子供たちに日本語で質問してみたりするそうです。
あるスペイン語のミサで幼児洗礼式があった時、いつものように日本語で説明を入れながら行ったところ、洗礼式のため久しぶりに教会に来たという若い女性が、ミサ後、自分は子供のころには教会に行っていたが、洗礼を受けていない。しかし今日の洗礼式を見て自分も受けたくなった、と言ってきたそうです。これなどは、参加する皆に式の意味が伝わるようにという、マシア師の工夫の実りでしょう。
感心しつつ、色々な言葉が自由に使えるマシア師だからできることだな、と心の中で思っていたら、その考えを見透かされたかのように言われました。
「言葉の問題だけではありません。日本人への司牧でもいつもこの問題を感じています。結婚式や葬儀は大半の人が信者ではないが、その人達にわかるようしなくては」
要は、すべての人を相手に語るという意識だと改めて思い知らされました。そんな思いのつまった「フントス」を皆さんも是非一度手に取ってみてください。
高木健次
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カリタスの家だより 連載 第80回

2016年度ボランティア養成講座へのお誘い

2016年度も東京カリタスの家はボランティア養成講座を開催します。講座は全6回。5月に始まり、ひと月に一度のペースで11月まで続きます。
2016年度の通年テーマは「聴いて、行なう」です。カリタスの家に寄せられるご相談の中身は多岐にわたりますが、いずれの場合の対応も丁寧に相談者の話を「聴く」ことから始まります。
傾聴という言葉は最近でこそあちこちで耳にするようになりましたが、東京カリタスの家では創設以来もっとも大切にしていることです。箱庭療法の創始者であるカルフ女史は、「自由にして保護された空間」を形成することが自己治癒力を発動させると言っていますが、カリタスの家の傾聴も自由で対等、共感に溢れた空間を共有することを目指してきました。分析せず、判断せず、相談者自身の中に眠る答えをともに掘り当てる旅に同伴します。
ボランティア養成講座ではここ数年、「いかによく聴くか」を取り上げてきましたが、今年度は「聴く」ことから自然につながる「行なう」ことの重要性にも話を進めていきます。DVや虐待に立ち向かう、同じ苦しみを持つ他者と連帯する、認知症を人ごととせず集いの場をつくりあげるなど、勇気をもって「行なう」ことに踏み出した講師の話をお聞きください。そのあとには、周りの人とそれについて分かち合いましょう。そして講師に質問を投げかけましょう。和やかで真摯であること。このことをカリタスの家のボランティア養成講座では目指しています。
ボランティア活動の層は厚く、身の回りには私たちの手を必要とする人たちが大勢います。資格も特技もいりません。苦しむ人々に心を寄せた2000年前のイエスに倣い、誰かのために何かをしたいという気持ちだけを持って、会場においでください。青葉若葉の爽やかな聖母月に、東京カリタスの家でお待ちしています。
ボランティア開発養成室
酒井育子 

2016年度ボランティア養成講座“聴いて、行なう”

期間▶2016年5月21日(土)〜11月19日(土)
会場▶カトリックセンターホール(東京カテドラル構内)
時間▶13:00〜16:00 (受付12:30〜)
参加費▶6,000円
定員▶50名
申込方法▶氏名、住所、電話番号を下記へご連絡ください
Tel 03-3943-1726 Fax 03-3946-9156
受付開始▶2016年4月1日(金)
※講座の詳細は、6面VIVID欄をご覧ください 

CTVC カトリック東京ボランティアセンター No.41

カトリック東京大司教区主催
東日本大震災復興祈念行事  「思いつづける 3.11」
〜犠牲者・被災者・避難者のために祈るつどい〜
東京教区では、東日本大震災発災から5年目の2016年3月11日に
「思いつづける 3.11」と題し、復興祈念行事を開催いたします。
事前申し込みは不要です。皆様のご参加をお待ちしております。
 
日時 2016年3月11日(金)午後1時30分から午後4時頃まで
会場 カトリック東京カテドラル関口教会 聖マリア大聖堂
東京都文京区関口3-16-15
プログラム
①午後1時30分〜 パイプオルガンコンサート
南相馬市出身のオルガニスト、青田絹江さんのオルガン演奏を聴きながら被災地に思いを寄せます。
②午後2時30分〜 追悼・復興祈念ミサ
主司式:岡田武夫大司教
午後2時30分から、いわき市出身の歌手YUKARIさんの歌声を聴きながら黙想、2時46分の震災発生時刻に合わせて黙とう後、ミサ。
参加無料
ミサ中の献金は、祈念行事開催のための諸経費を差し引いた全額を、東京教区が行っている被災地(特に福島県・宮城県南部)支援のために大切に使わせていただきます。皆様の温かいお気持ちをいただけましたら幸いです。
お問い合わせ◉カトリック東京ボランティアセンター(CTVC)
電話:03-6721-1421 ファクス:03-6721-1422
E-mail: tokyo@ctvc.jp
 

第25期司祭評議会評議員

任期2016年~2017年◀(順不同)
教区司祭
山本  量太郎、稲川  圭三、伊藤  淳、江部  純一、高木  健次、門間  直輝、西川  哲彌、辻  茂、
加藤  豊、福島  一基、古郡  忠夫、李  宗安(ソウル教区)
宣教会・修道会司祭
レオ シューマカ、田丸  篤、山浦  義春、オノレ  カブンディ、小西  広志、宮崎  保司
職務上
幸田  和生、高木  賢一、浦野  雄二
主宰者
岡田  武夫 

宣教司牧評議会評議員 第7期

任期2016年~2017年(宣教協力体)
井上  道子(千葉北東部)              三輪  みさ子(千葉中央)
小林  グロリア(安房上総)            徳矢  貢一(東葛飾)
金子  史朗(京葉)                        恩田  ジェニー(荒川足立)
磯野  エレナ(下町)                      阿部  泰久(北文京)
矢崎  久子(中央千代田)              高岡  武司(港品川)
洗川  和之(大田)                        伊藤  全(世田谷北)
志立  章子(玉川通り)                   棚橋  仁子(世田谷南)
木ノ内  伸子(豊多摩北)                萩野  靖子(豊多摩南)
宮田  雅文(武蔵野北)                  栃折  信太郎(武蔵野南)
西  一恵(多摩東)                         堀田  修平(多摩南)
岩崎  章次(多摩北)                     渡辺  マリア(多摩西)
Sr.近藤  ルミ子(修道者)               Sr.木口  朋子(修道者)
西川  哲彌(司祭評)                     オノレ  カブンディ(司祭評)
 

奉献生活の年の閉幕ミサ

kn_33044kn_33043 kn_33042 kn_33041教皇フランシスコの呼びかけによって始まった「奉献生活の年」(2014年11月30日より2016年2月2日)の閉幕にあたり、麹町教会において、1月30日に記念のミサが行われた。主司式は、教皇大使ジョセフ・チェノットゥ大司教。大司教は参列者に対し、「世界、そして日本の状況を踏まえ、特に平和のために働く使命に呼ばれていること」を、強調し、励ましの言葉を送った。 
 

教区司祭紹介 第60回

信者さんたちとのミサ後のコーヒータイムを大切にしています

ヨセフ ゴ・クアン・ディン 神父

1961年2月15日生まれ 1992年3月8日司祭叙階kn_33051

家族の方々は?

ディン 両親、女4人、男2人の6人兄弟で、私は2番目です。生まれ、育ったのは、当時の南ベトナムのサイゴン(現在ホーチミンシティ)の近くの町です。今、弟は、ドミニコ会の司祭で、ベトナムの教会で働いています。その教会には、司祭が10人ほどいるそうですが。弟が司祭に叙階されてから、4年前、私を訪ねてくれたことがあり、31年ぶりに再会することができました。

父は49才で亡くなりましたが、母は健在で、一人で生活しています。近くに自分の娘やその家族がいて、世話をしています。 

再会した時の印象は?

ディン 弟は父に似ているなと感じました。私はどちらかというと母に似ていますが。

子どもの頃の思い出は?

ディン 生活の中心は、教会でした。朝、起こされてミサに行き、戻ってきて学校、学校から帰ると教会で遊ぶ、夕方に聖体賛美式、そんな毎日でした。通っていたのは大きな教会で、大きな庭があり、友達とサッカーをしたりしていました。毎日が楽しかったですね。小学校を卒業後、小神学校に行きました。 

何かきっかけがあったのですか?

ディン 小神学校には、高校生まで在学しましたが、戦争終結(1975年)と共に小神学校も大神学校もすべて閉鎖されて、家に帰ることになりました。

当時、神学生が司牧の実習で教会に来ていて、いっしょに遊んでくれました。召命というほどではありませんが、一種のあこがれを感じました。両親に、小神学校に行きたいことを話したら、母は大反対でした。まだ弟が生まれていなかったので、手放したくなかったのでしょう。父は反対しませんでした。きっとすぐに帰ってくると思っていたでしょうね。小神学校には4年在籍しましたが、徐々に政府の教会への干渉が強まり始め、家に帰ることになりました。大神学校も閉鎖されました。 

その時代、どんな思いで過ごされていたのですか。

ディン 当時の政府の取った方法は、直接、教会を弾圧するのではなく、教会の指導者、聖職者を育てないということでした。カトリック信者は大学に行くという選択肢もありませんでした。時間をかけて教会自体を弱体化させることを意図していたわけです。
今は政治の体制は変わりませんが、教会に対する姿勢は大きく変わりました。 

そんな中で、ベトナムを離れるわけですね

ディン 小神学校から戻り、家の仕事の手伝いをしていましたが、大学にいく道も閉ざされており、全く未来がない状況の中で生活していました。そんな中、神学生だった友人から国を出る誘いを受けました。船を持っている信頼できる人物だったので、熟慮の末に決断しました。しかし決断だけで済む問題ではありませんので、私も船の燃料を少しずつ溜めて、それを隠しておき、提供しました。ある夜、闇に乗じて船出しました。幸いなことに4日目に、日本に天然ガスを運ぶ船に助けられました。私は、徳島県の鳴門の赤十字キャンプで2年間過ごしました。 

当時、持っていたその後のイメージは?

ディン 子どもの頃、司牧実習に来ていた神学生が、司祭に叙階されて、ローマで勉学に取り組んでいることを知っていたので、手紙を書き、イタリアへの留学手続きを申請してもらいましたが、思うように進まず、停滞していました。
そんな時期、私は品川にあった国際救援センターに移り、そこで東京教区の粕谷甲一神父と出会いました。粕谷神父は定期的にミサのため、同所に来ていました。
粕谷神父は、私を白柳大司教に引き合わせてくれ、東京教区の神学生となることができました。しかしながら日本語力が十分でなかったので、1年間は練馬の神学院に住みながら、日本語学校に通いました。

粕谷神父の思い出は?

ディン 品川の国際救援センターで、実に多くのベトナム人を助けてくれました。自分が関わっている学校の卒業生などに呼びかけて、難民の就職にも積極的に取り組まれました。
同センター解散後も、ベトナムとの関わりを続け、ベトナムの貧しい地域に学校を建てるプロジェクトを立ち上げるなど、精力的に働かれました。
人にはとことんやさしい方でしたが、ご自分の生活は質素でした。当時は、バブルの時期と重なるのですが、世の中の姿と対照的な粕谷神父の生き方が印象に残っています。 

日本語学習の難しさは、どのように乗り越えたのですか?

ディン 漢字の習得が一番苦手でした。そのためには、ただただ書くことだけです。それのみです(笑)。 

好きな聖書のことばは?

ディン ヨハネ福音書3章16節の「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」です。
その神様が、すべてを失った、絶望のうちに生きたとき、また不真面目な私を選び、導いている。主体は神様にあり、この神様のわざが、今の私にも働いていることを意識しています。ボートピープルとしての体験と重なるからかもしれませんが。 kn_33052

今の教会に必要と感じていることは?

ディン 子どもの頃から教会で育ち、楽しい思い出がたくさんあります。それが私の教会観のベースにあると思います。今いる小金井教会では、主日の10時のミサ後のコーヒータイムをとても大切にしています。より快適な環境作りにも取り組むつもりです。
組織や建物も必要ですが、それ以上に、イエスを信じる者が集まっている。その集まりが生き生きしている姿を示したいですね。 

寄稿 第51回 世界聖体大会

教皇特使ミャンマーのボー枢機卿が閉幕式ミサ司式
1月31日、フィリピンのセブ市で7日間のすべての行事を成功のうちに完結した第51回世界聖体大会の閉幕式ミサが行われた。kn_33061
教皇特使のチャールズ・ボー枢機卿は「私たちは、世界中から参加した兄弟姉妹と共にこの7日間山上のテーブルにつき、あらゆる面から宣教の源とゴールである聖体を探求し、分ち合い、祈りと回心、聖体祭儀、文化交流、カテケシス、小教区聖体訪問、聖体行列を通して、皆がひとつになってみ言葉と聖体で霊的に豊かに養われました。これは、まさに終末的な神の国の普遍的な兄弟愛の現れであり、キリストの教会である聖体共同体は“あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望”です。」と挨拶され派遣の祝福を送られました。
続いて教皇のビデオメッセージで、次の世界聖体大会は2020年にハンガリーの主都ブダペストで開催されるとの発表がなされると歓声が沸き起こり喜びの内に聖体大会が閉幕しました。   
小宮山延子 

VIVID

ミサ・祈りの集い・黙想会

■ 四谷祈りの集い 聖霊による生活刷新セミナー

4/10〜5/29(毎日曜日)17:00〜19:00(全8回)
岐部ホール309号室で 参加費:¥2,000
申込:4/10(日)17:00に直接会場へお越しください
問合せ→聖霊による刷新事務所
Tel/03-3357-8138 Fax/03-3357-9504

■ いやしのためのミサ

3/13 4/10 5/8 (第2日曜)14:00〜 
聖心女子大学聖堂で(渋谷区広尾4-3-1)
司式:小平正寿神父(フランシスコ会) パウロ・ヤノチンスキー神父(ドミニコ会) 
ミサ後に個人別祈りの時間帯有
問合せ:羽村 Tel/03-3414-6940 小平師
http://fraludo-ofm.at.webry.info/ 
ミサ詳細=http://home.a04.itscom.net/ictus/hm.html 

■ 聖母病院ミサと聖書の集い

以下共通 問合せ→聖母病院パストラルケア室
Tel/03-3951-1111(内線759)
◆ミサ予定 4/6 4/13 4/20 4/27(水)
14:30〜聖母病院大聖堂で
司式=バレンタインデ・スーザ神父
◆聖書の集い 13:00〜14:15  ミサの前
聖母病院大聖堂2階集会室で どなたでも参加可 

■ ベタニア祈りの集い「神のいつくしみ」

3/12(土)17:00〜3/13(日)16:00(1泊2日)
4/9(土) 17:00〜4/10(日)16:00(1泊2日) 
対象:独身女性信徒・求道者 
申込:ベタニア修道女会聖ベルナデッタ第二修道院
(〒165-0022中野区江古田3-15-2 Tel/03-5318-5676 Fax/03-3387-1533)

■ 初台祈りの集い 聖霊による信仰刷新セミナー

4/7〜6/2(5/5祝は休み) 毎週木曜日 13:00〜15:00
初台教会2階 対象=受洗者で原則毎週参加できる方 
参加費:¥2,000(全8回分) テキスト代:¥500
会場費献金(自由) 申込:会場受付で
問合せ:井之上 Tel/03-3468-8221
初台教会への問合せはご遠慮を 

■ ラビリンスメディーションへのおさそい

ラビリンスを歩いてみませんか 
4/16 5/14 6/25(土) 13:30〜16:30 
小金井聖霊修道院マリア館で
参加費:¥200 申込不要
雨天は聖書の分かち合いをします
Tel/042-381-8001  担当:シスター大里 

■ 「ミサと晩の祈りをうたう集い」へのおさそい

3/30(復活の水曜日)13:30  晩の祈りの練習 14:00〜16:00 
歌唱ミサ・ひきつづき 晩の祈り(歌)
聖パウロ修道会若葉修道院で(新宿区若葉1-5)
司式:中川博道神父(カルメル修道会) 
どなたでも参加可 申込不要 
晩の祈りのプリントは準備します 
主催:「詩編の会」 
問合せ:Tel ・Fax 045-402-5131(藤井) e-mail:shihennokai@gmail.com 

■ いやしのためのミサ 「おかえりミサ」

3/19(土)15:00〜祈り 16:00〜ミサ 
援助修道会聖堂で(新宿区市谷田町2-22) 
司式=晴佐久昌英神父(東京教区) 
どなたでも参加可 
問合せ:Tel/03-3269-2405(17:00まで) 
e-mail:auxijapon@live.jp (件名に「おかえりミサ問合せ」と記入) 

■ ローマ典礼の特別形式による歌ミサ(トリエント・ミサ)

3/20 4/10 4/17 5/8 5/15 6/12 6/19(日)
14:00〜 ミサ・聖体降福式 13:00開場 13:30よりロザリオの祈り(ラテン語) 
聖パウロ修道会若葉修道院で(新宿区若葉1-5)
主催:Una Voce Japan 
司式:池田敏雄神父(聖パウロ修道会)  
どなたでも参加可 
侍者募集中 http://uvj.jp
問合せ:e-mail:info@uvj.jp (修道院への問合せはご遠慮を) 

■ 1日黙想会:「み言葉によって生きる」

4/23 5/21 6/25 7/23 10/22 12/17(土)10:00〜16:30 
聖パウロ修道会若葉修道院で(新宿区若葉1-5) 
指導:赤波江謙一神父(聖パウロ修道会) 
内容:ご聖体顕示と沈黙の礼拝、講話、ロザリオ、賛美、ゆるしの秘跡、ミサ 
会費:¥1,500 昼食持参
どなたも歓迎(予約不要)
問合せ:Tel/090-4547-9288(9:00〜17:00)

■ 黙想会のご案内

4/8(金)18:00〜4/10(日)16:00 
三位一体東村山修道院で 
講師:キッペス神父(レデンプトール会) 
テーマ:他者の中にイエスを見る目 
連絡先:上坂佑子 Tel/090-4540-9455 
e-mail:yuko-shonan150@softbank.ne.jp 

■ 「十字架の使徒職」の集い

毎月第1木曜日・第2金曜日 
三位一体の聖体宣教女会で(東村山市久米川町1-17-5)  
キリストを祭司、いけにえとして仰ぎ、司祭、神学生のために祈ります  
問合せ:Tel/042-393-3181 
e-mail:murayamainori@gmail.com 

■ 「いつくしみの特別聖年」を生きる

以下共通 御聖体の宣教クララ修道会東京本部修道院で(世田谷区桜新町1-27-7) 
申込→御聖体の宣教クララ修道会 シスター小崎、シスター十三
Tel/03-3429-4823  Fax/03-3420-0394 
e-mail:tategoto@hotmail.co.jo 
住所、氏名、霊名、年齢、所属教会を記入の上、 TelかFax、メールで
◆第2回「神のいつくしみの中へ」
神のいつくしみを体験し、得るために、小巡礼に行きませんか? 
4/3(日)神のいつくしみの主日 
巡礼教会:神田教会、東京カテドラル関口教会(司教座聖堂) 
申込:3/27まで
◆第3回「神のいつくしみを生きる」(1日黙想会)
6/24(日)9:30〜16:00(主日のミサ有)  
対象:40歳位までの未婚女性信徒 
指導:嘉松神父(長崎教区)御聖体の宣教クララ修道会東京本部修道院で  
費用:¥1,000(弁当代を含む)
申込:住所、氏名、霊名、年齢、所属教会を記入の上、TelかFax、メールで 6/19まで 

■ 「沈黙のうちに神を求めて─観想の祈りへの道」講演と祈りの実践

3/17 5/26 7/21(木)14:00〜16:00 
麹町教会岐部ホール4階404号室で 
十字架の聖ヨハネの「霊の讃歌」からの講話後、一緒に沈黙で祈ります 
指導=九里彰神父(カルメル会管区長)
どなたでも 
献金歓迎 申込不要 
問合せ:Tel/042-473-6287 篠原(11:00〜20:00) 

■ いつくしみの聖年を生きる1日静修

─聖テレーズのよき理解者 幼きイエスのマリーエウジェンヌ神父とともに─
3/21(月)10:30〜16:30(受付10:00) 
ノートルダム・ド・ヴィで(〒177-0044 練馬区上石神井4-32-35) 
プログラム=祈り・講話・あかしとプレゼンテーション 
講師:伊従信子・片山はるひ
定員:50名先着順(要申込) 
参加費:¥500(昼食代を含む) 半日参加¥200 
申込:ハガキ、電話、Fax、メールで 
問合せ・申込:Tel/03-3594-2247 Fax/03-3594-2254 
e-mail:notredamedevie.japan@gmail.com 

■ グレゴリオ聖歌と講話による聖週間の黙想

3/13(日)16:30 
聖心女子大学聖堂で 
参加費:¥1,000  
内容:ラテン語による「マタイの受難の朗読」 
指導:静一志神父(フランシスコ会)渡辺宏子 望月裕央 
主催:カンタテドミノ 問合せ:Tel/0467-24-1715 渡辺 

■ 七十二人の集い(ひきこもり支援)

─さまざまな生きづらさを抱えた人たちと共に─
以下共通 e-mail:info72nin@gmail.com
http://72nin.com/(日程の変更等はホームページで確認を) 
主催:七十二人の集い 
代表:Br.沖下昌寛S.J. (ひきこもり経験者、発達障害当事者) 
ひきこもり当事者、家族、心ある方たちのために
◆ひきこもり支援の意向のミサ
毎月第2日曜 14:00〜15:00 
麹町教会ザビエル聖堂で 
引き続きわかち合いの会 
イエズス会岐部修道院3階集会室306号室で
◆相談室・集い
「上石神井 相談室」Br.沖下昌寛  
毎週木曜日13:30〜16:00 
イエズス会上石神井修道院で(Tel/03-3929-0847)   
申込:e-mail:info72nin@gmail.com
「市谷」Sr.藤本保子 
毎月第1・3火曜日14:00〜16:00 
援助修道会市谷本部修道院で(Tel/03-3269-2405)
「信濃町」Sr.野間順子 
毎月第1・3木曜日 14:00〜18:00  
マリアの御心会信濃町修道院で(Tel/090-8303-2042) 
「上石神井純心」Sr.田中文子 
毎週木曜日午前・午後 
純心聖母会上石神井修道院で(Tel/03-3920-1158 イエズス会無原罪聖母修道院)
※他開催地はHP参照
◆「母の祈り」市ヶ谷会場
毎週火曜日10:30〜11:30 祝日の場合休止 
援助修道会で(新宿区市谷田町2−24)
担当:Sr.藤本保子 子供や孫たちのために祈る集会
◆発達障害夫の妻の会
発達障害(未診断も含む)の夫を持った妻の当事者会 
毎週水曜日 14:30〜16:00 
麹町教会信徒会館集会室102Aで 

■ 「サダナ」黙想会 〜東洋の瞑想とキリスト者の祈り〜

以下共通 
指導:植栗神父 
連絡先:若山美知子 
Tel ・Fax/03-5802-3844  (不在時=渡辺由子Tel/042-325-7554) 
詳細=http://sadhana.jp
※申込は開催日の8日前まで
◆入門 4/10(日)9:30〜17:00
ニコラバレ修道院で(四ツ谷)
◆自己を知る(1泊2日×2 合計4日)
4/16(土)9:30〜4/17(日)17:00
4/23(土)9:30〜4/24(日)17:00
汚れなきマリア修道会・町田黙想の家で
◆ダイアリー
5/4(水)17:30〜5/8(日)16:00
三位一体宣教女会東京修道院で(東村山市)
 

講座・研修会

■ 岡田大司教による「カテキズム講座」

3/12 4/9 5/14 6/11(土)14:00〜15:30 
本郷教会聖堂棟2階レイ記念ホールで  
教材:「カトリック教会のカテキズム要約」「聖書」 
費用:¥500(会場費・プリント代他) 
予約不要 自由参加 
どなたでも  いつからでも  
主催:本郷教会 問合せ:Tel/03-3941-5916 

■ 池田神父によるカテキズム講座

3/3 3/10 3/17 3/31 毎週木曜日14:30〜16:00 
聖パウロ修道会若葉修道院1階応接室で 
教材:「カトリック教会のカテキズム」第3編 第2部「神の十戒」  
費用:¥700/1回  
問合せ:Tel/090-5449-2054 辻美佳子 

■ 講座案内

キリスト・イエズスの宣教会(江戸川区南小岩6-25-6) 
シスターベアトリス:Tel ・Fax/03-5889-3055
◆「聖書の心」
パパフランシスコの「福音の喜び」の勧告に基づいて 
毎月第1・3月曜日 第2・4木曜日 10:00〜12:00 第1・3月曜日 18:00〜19:30
◆祈りの集い
毎月第2土曜日 14:00〜16:00
◆悩み相談
いつでもOK ご希望の方、22:00までTelで連絡を
◆「よりよい家庭をもとめよう」
第1・3水曜日14:00〜15:30 ガリラヤ船橋学習センターで
◆「聖書の心」
パパフランシスコの「福音の喜び」の勧告に基づいて 
第2・4水曜日14:00〜15:30 
ガリラヤ船橋学習センターで  
第1・3土曜日10:00〜12:00 市川教会で 

■ テイヤール・ド・シャルダン研究読書会

3/5 3/19 4/2 4/16(土)14:00〜15:00 
吉祥寺教会で テーマ:「人間の未来」 
講師:美田稔氏(テイヤール翻訳家) 
教材:当方で用意(テイヤールの「人間の未来」ある方は持参)
参加無料 申込不要 
問合せ:Tel/03-3332-8866 竹田誠二 

■ 「信仰と生活」小平正寿神父(フランシスコ会)

『1992年発行カトリック教会のカテキズムの学び方』〜「キリスト者の信仰」〜
3/9 3/23(水) 10:30〜11:30  信徒会館で 
3/15(火)19:00〜20:00 修道院で  
どなたでも参加可 
持ち物:「カトリック教会のカテキズム要約」 
問合せ:田園調布教会 Tel/03-3721-7271(9:00〜17:00)

■ イエズス会霊性センター「せせらぎ」研修会のお知らせ

4/28(木)17:00〜5/5(木)16:30
イエズス会無原罪聖母修道院で(練馬区上石神井4-32-11)
2016年度「カバルス研修会基礎(集中コース)」
中米グアテマラのイエズス会司祭カルロス・カバルス師
(グアテマラ管区修練長、中米霊性センター長、ランディバル大学副学長を歴任)
によって、キリスト者の心理的・霊的成熟を目指して開発されたプログラムです 
対象:心理的・霊的成熟に関心があり、全日程に参加できる方 
定員:24名 
申込:「アンケート用紙」をお電話、 Fax、メールで請求 
参加者は献金をお願い 
問合せ→イエズス会無原罪聖母修道院霊性センター「せせらぎ」 
Tel/03-3920-1158(9:00〜17:00) 

■ マリアニスト宣教センター講座

以下共通 
マリアニスト宣教センターで (〒182-0016調布市佐須町5-28-6) 
問合せ・申込:e-mail:marianist@marianist.jp 
Fax/042-481-1644  Tel/080-5873-6637(Sr.小林) 
講座名・氏名・緊急連絡先のメールアドレスもしくは電話番号を記入 
開始1週間前までに申込 http://www.marianist.jp/ 
◆巡礼黙想会「武蔵野の路」を歩む祈りと巡礼の旅
3/19 6/18 10/15(土) 10:00〜17:00(年3回) 
対象:高校生以上の青年男女(15歳〜35歳)
雨天の際は、別のプログラムで実施 
宿泊を希望される方は、宿泊も可能 弁当、飲み物を持参
◆「福音書の奇跡物語」
3/2 第1水曜日11:00〜12:30 
講師:清水一男神父(マリア会)
◆「神に聴く祈り」
3/3 第1木曜日10:00〜11:30 
講師:Sr.小林幾久子(汚れなきマリア修道会) 

■ 船橋学習センター「ガリラヤ」講座案内

以下共通 ケイ・ジイビル3階で (船橋市湊町1-2-21)
参加自由(できれば事前に申込) 
申込・問合せ先:Tel/047-404-6775(10:00〜16:00) http://fgalilea.jimdo.com/ 
◆「悲惨な戦争体験を語る」
3/12(土)1400〜15:30 
講師:坪内一英(習志野教会信徒)
◆「より良い家庭 人間味を目指して(19)」
─ただ 今に生きる
3/16(水) 14:00〜15:30 
講師:ベアトリス・カベスタニ(キリスト・イエズスの宣教会修道女)
◆若者の集い(福音)
3/18(金) 19:00〜20:30  
講師:アンドレア・レンボ (習志野教会助任司祭)
◆「マタイによる福音を読み進み、慈しみのイエスに出会う」

─皆で読みあう聖書クラス 
3/19(土) 10:30〜12:00 
講師:本間良子(マリアの御心会修道女)

◆「聖書のなかのマリア」
─み言葉通りになりますように
3/19(土) 14:00〜15:30
講師:森一弘(東京教区司教) 

■ リーゼンフーバー神父講座

以下共通 講師と連絡先=K. リーゼンフーバー (上智大学名誉教授) 
上智大学内S.J.ハウス Tel 03-3238-5124(直通)、5111(伝言) Fax 03-3238-5056
◆「キリスト教理解講座」[信仰の実現]
3/1 創造的霊性――活動における観想
3/15 「聖徒の交わり」――信仰の内に支え合う
第1・3・5火曜日、18:45〜20:30 
麹町教会信徒会館3階アルペホールで
◆「坐禅会」
月・木曜日=17:45〜20:10 
上智大学内クルトゥルハイム1階正面左の部屋で 
3回坐り、間に講話があり 
初心者も歓迎  遅刻、不定期の参加も可 

■ 南無アッバの集い・井上神父の言葉に出会う

3/26 4/23(土)13:30〜15:00 
幼きイエス会(ニコラ・バレ)修道院1Fで (Tel/03-3261-0825) 
講師:平田栄一(風編集室) 
参加費:¥1,000 
テキスト:「心の琴線に触れるイエス」(聖母文庫¥525) 
申込・問合せ:平田栄一 Tel ・Fax/048-769-4095 e-mail:yohaku5@yahoo.co.jp

■ ビ・モンタント(登り行く人生の会)の講座等

下記の申込み・問合せ→ビ・モンタント東京事務所
(〒116-0013 荒川区西日暮里 5-27-4 エルアルカサルフジ305)
執務時間:火曜日14:00〜16:00 Tel ・Fax/03-3806-9877
◆4会場での勉強会
全会場同一条件13:30〜15:00 
指導:泉富士男神父(東京教区) 
会費:¥500程度 
申込不要
3/1(火)立川教会で  加藤英雄神父(本所教会)
3/8(火)ビ・モンタント東京事務所で
3/15(火)三軒茶屋教会で
3/18(金)高輪教会で 4/5(火)立川教会で
◆聖書通読講話会
〔四谷会場〕土曜日 13:30〜15:00 イエズス会岐部ホール306室で
3/5「サムエル記」泉富士男神父(東京教区)
4/2「マルコによる福音書」鈴木信一神父(パウロ会)
世話人:浜端 Tel/042-623-1469
〔関口会場〕
3/2 3/16 4/6(水)10:30〜12:00
「諸預言者」泉富士男神父(東京教区)
東京カテドラル関口教会構内カトリックセンターで
◆パッチワーク・キルト同好会
3/10(木)11:00〜15:00 
ビ・モンタント東京事務所で 
ホスピスのベッドカバー作り 
会員外もふるって参加を 
世話人:宮木 Tel/042-575-2335
◆月例散策会
3/9(水)10:30 JR目白駅改札口集合 
行先:東京カテドラルと文京区立新江戸川公園内「松聲閣」及び椿山荘 
世話人:田垣 Tel/03-3999-1209
◆気楽に絵を描く会
3/2 3/16 4/6(水)13:30〜17:00 ビ・モンタント東京事務所で 
指導:池田道明先生(カトリック美術展に参加 Tel/03-3892-5412) 
水彩・パステル・絵手紙等 
会費:¥1,000/月(画材自己負担) 
世話人:野村 Tel/03-3394-5778
◆聖句を毛筆で楽しむ会
3/3(奇数月第1木曜日) 立川教会で 
4/7(木)ビ・モンタント東京事務所で(偶数月第1木曜日)
13:30〜15:00 
会費:¥500 
担当司祭:泉富士男神父(東京教区) 
世話人:片島Tel/042-523-0810 

■ カリタスの家講座5/21〜11/19

以下共通 土曜日 13:00〜16:00(受付12:30)
カトリックセンターホールで 
参加費:¥6,000 
定員:50名 
申込:氏名、住所、電話番号を記入
下記に申込 
Tel/03-3943-1726 Fax/03-3946-9156 
e-mail:v-yosei-koza@tokyo-caritas.org 
受付=4/1開始
5/21 テーマ=東京カリタスの家のボランティアとは
講師:小宇佐敬二神父(東京カリタスの家常務理事)
テーマ:ともに開かれる
講師:阿部慶太神父(フランシスコ会)
6/18 テーマ:聴く、聴く、聴く・・・
講師:シスター林義子(援助修道会)
7/16 テーマ:DV・虐待が及ぼす影響
講師:中島幸子(レジリエンス)
9/24 テーマ:摂食障害〜生きづらさからの回復、
成長いいかげんに生きよう
講師:鶴田桃江(NABA)
10/15 テーマ:認知症を聴く
講師:竹内弘道(目黒区Dカフェ主催)
11/19 テーマ:聴いて、行う
講師:小宇佐敬二神父(東京カリタスの家常務理事) 

■ 中世聖歌を学ぶ

3/5(土)14:00〜16:00 
3/7(月)10:00〜12:00 
世田谷教会信徒会館2Fで 
参加費:¥1,000
講師:杉本ゆり 
要予約 
曲:Christe qui lux es et dies(8世紀頃、終課のためのイムヌス) 
Generat virgo filias(13世紀、クララ会聖歌) 
両日共同内容 
予約申込:Tel ・Fax/0422-32-6074 Tel/080-5009-4279 
e-mail:yur-francesca@nifty.com 

■ Caravan 聖歌を手話で歌おう! 参加者募集

3/26(土)13:30〜15:00 
麻布教会 信徒会館2F奥会議室で 
会費:献金¥500+楽譜コピー代 
練習予定曲=「ガリラヤの風かおる丘で」「マラナタ」
「アーメンハレルヤ」「私を平和の道具としてください
(アッシジの聖フランシスコの平和を求める祈り)」
「Amazing Grace(日本語歌詞)」などから選曲 
問合せ:森峰子 Fax/03-3401-8750 
e-mail:saint.maria.elizabeth-cecilia@xc4.so-net.ne.jp 

音楽会

■ 四旬節・聖週間の黙想コンサート

3/21(月・祝)13:00開場 14:00開演 
すみだトリフォニ─ホール大ホールで 
J.S.バッハ「ヨハネ受難曲」(字幕付)
指揮=高橋誠也 福音史家(テナー) 望月哲也 イエス(バス)青戸知 
ソプラノ 杉原良子 アルト 中野由弥 バス 金沢平 
東京J.S.バッハ管弦楽団・合唱団 
全席自由席:¥3,500(学生¥2,000当日売り) 
チケット取扱い:坂井田 Tel/042-421-7242 
電子チケットぴあ:Tel/0570-02-9990(Pコード=282-475) 
トリフォニ─チケットセンター Tel/03-5608-1212 

■ クープマン神父演奏によるピアノコンサート

5/5(木)13:30開場 
日暮里サニーホールで
5/15(日)13:00開場 
広島エリザベト音楽大学ザビエルホールで
5/20(金) 18:30開場 
横浜市泉区民文化センターテアトルフォンテで 
いずれも東日本大震災復興支援のためのチャリティーとして 
(協賛=カリタスジャパン) 
曲目=(バッハ)パルティータ 第1番変ロ長調 (ベートーベン)
ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109(サミュエル・バーバー)
ピアノ・ソナタ作品26変ロ長調など他 
入場料:東京¥2,500 広島¥2,000 横浜¥2,000 
問合せ:Tel/090-7268-2667(西舘) 

その他

■ 聖心女子専門学校保育科学校説明会

3/12  3/22(土) 
入試日 入学方法には推薦入学(指定校推薦・一般推薦)
と一般入学選考、AO入学選考及び大学生・社会人等特別入学選考があります 
個別相談受付中  
問合せ:Tel/03-3442-8649 
http://www.sen-sacred-heart.ac.jp e-mail:info@sen-sacred-heart.ac.jp 

青少年対象企画

■ 東京教区青年大会

テーマ:「あわれみ深い人々は、幸いである、その人たちはあわれみを受ける」(マタイ5・7)
3/19(土)12:30〜3/21(月)10:30 
場所=イエスのカリタス修道女会日本管区本部修道院 
西武新宿線「井荻駅」徒歩4分 
参加費=\5,500
参加者=18歳〜35歳青年、修道者、神学生 
定員=100名 他教区からの参加も歓迎します。 
問合せ:e-mail:hatuinori@yahoo.co.jp 
申込:http://goo.gl/forms/ReymtJlnud

 「VIVID」情報掲載の申込み方法

★ 4月号(No.331)は、3月27日(日)に各教会で配布予定。
情報掲載希望原稿の〆切:2月29日(月)
5月号(No.332)は、5月1日(日)に各教会で配布予定。
情報掲載希望原稿の〆切:3月27日(日)
申込:必要事項を記載の上、郵送かFaxまたはEメールで下記へお送りください。
締切り日を過ぎたもの、内容が教区ニュースにふさわしくないと、
判断されたものについては掲載しないことがありますので、予めご了承ください。 
掲載無料。連続掲載をご希望の場合も月ごとにお送りください。

送り先:〒112-0014 文京区関口3-16-15 カトリック東京教区事務局広報部
Tel/03-3943-2301 Fax/03-3944-8511  
e-mail:vivid@tokyo.catholic.jp  

復活の主日・復活徹夜祭(2016/3/27 ルカ24章1-12節)

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[聖書朗読箇所]

教会暦と聖書の流れ

復活の主日のミサには、復活徹夜祭と日中のミサがありますが、この「福音のヒント」では3年周期になっている復活徹夜祭のミサの福音を取り上げます。今年はルカ福音書の箇所が読まれます(ちなみに日中のミサは毎年同じで、ヨハネ20章1-9節です)。

イエスは安息日の前日に処刑され、墓に葬られました。このありさまを見ていた女性たちは家に帰って香料と香油を準備しました(ルカ23章49,55-56節)。その日没から安息日が始まりました(当時のユダヤでは、日没から新しい1日が始まりました)。次の日没と同時に安息日が明けます。この安息日明けの日が1節の「週の初めの日」です。

福音のヒント

0408(1)  どの福音書もイエスの十字架上での死と埋葬を見届け、3日目の朝、空(から)の墓を見つけた女性たちのことを伝えています。この女性たちについて、ルカ福音書8章1-3節ではこう述べられていました。「イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」。「七つの悪霊」とはさまざまな病気を抱えていた状態を表しているのでしょう。病気をいやされイエスの一行に加わった女性たちは「奉仕していた」と言われますが、単なる身辺の世話係というよりも、女性の弟子たちと考えることができるでしょう。

当時の墓は、洞窟のような横穴で、入り口が円盤型の大きな石でふさがれていました。その墓が開いていたことに女性たちはまず驚きます。イエスの遺体がなくなっていたのですから、彼女たちの驚きはさらに大きくなりました。ここに現れる「輝く衣を着た二人の人」は明らかに天使です。マルコでは1人ですが、ルカでは「2人の証言は確かである」(申命記17章6節,19章15節参照)という考えが背景にあって2人になっているようです。

(2) 5-7節で、天使ははっきりとイエスの復活を告げています。天使の語る言葉の後半はマルコ福音書ではこうでした。「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と」(マルコ16章7節)。ルカにも「ガリラヤ」という地名がありますが、内容はずいぶん変わっています。「まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい」(6節)。ルカはこの後、エルサレムでの出現を報告するので、この部分を変えているようです。もちろん、確かにルカ9章21-22節で、まだガリラヤにいたときにイエスは受難と復活を予告し始めていました。「そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した」(8節)とありますが、この女性たちがそれをどこまで悟ったかは不明です。それでも彼女たちは男の弟子たちにこの出来事を伝えました。

(3) 男の弟子たちは、女性たちの言うことをなぜ「たわ言」(11節)だと思ったのでしょうか。女性の弟子に対する偏見があったというよりも、むしろ、あまりに非現実的で信じられなかったのでしょう。12節でペトロは墓に行きます。とにかく行動してしまうというのはいかにもペトロらしいのですが、ヨハネ福音書でもこの空の墓の場面に、ペトロの姿が現れています。初代教会の中でペトロを復活の第一の証人とした伝承があり(Ⅰコリント15章5節参照)、それが影響しているのでしょう。

復活の主日の福音は、空の墓の場面で、天使がイエスの復活を宣言していますが、まだイエスご自身は姿を現しませんし、弟子たちが信じたということもはっきりとは語られません。復活したイエスが姿を現した時もまだ「彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った」(24章37節)と伝えられています。イエスの復活をなかなか信じることのできなかった弟子たちの姿は、復活を信じることの難しさを語ろうとしているのでしょうか?
しかし、もちろんわたしたちはこの日に、イエスの復活についての信仰を宣言します。わたしたちにとって、イエスが復活して今も生きているとはどういうことでしょうか?

(4) きょうの福音を読みながら1つのヒントにしたいことは、「イエスの言葉が生きている」ということです。イエスの墓に行った女性たちは、天使から「お話になったことを思い出しなさい」と言われます。「そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した」と伝えられています。わたしたちも聖書を読みながらいつもイエスの言葉を思い出しています。イエスが「ガリラヤにおられたころ、お話しになったこと」は、福音書に数多く伝えられています。たとえば、「人よ、あなたの罪はゆるされた」(ルカ5章20節)、「貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである」(ルカ6章20節)、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」(ルカ7章50節、8章48節)、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」(ルカ8章21節)などなど。

ヨハネ福音書14章26節に「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」という言葉があります。これは、ただ忘れていた言葉を思い出すというよりも、イエスの語った言葉を、今のわたしたちの現実の中に生きている言葉として思い出すということでしょう。「イエスのおっしゃったことは過去のことになってはいない。その言葉は今もわたしたちの中に生きていて、働いている」、そう悟った時に、イエスが今も生きていると感じることができるのではないでしょうか。

 

ダウンロードできます。

「福音のヒント(Word)」   ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。
「福音のヒント(PDF)」

受難の主日説教

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 2016年3月20日、関口教会

[聖書朗読箇所]

説教

「本当に、この人は正しい人だった」(ルカ23・47)

イエスの死の様子を一部始終目撃していた百人隊長の言葉です。異邦人の百人隊長はイエスのこの最後の様子に、非常に強い印象を持ち、こう言ったのです。

マタイとマルコの福音書では「本当に、この人は神の子だった」となっています。(マタイ27・54、マルコ15・39)

ある人がどんな人であるのかを知るためには、その人がどのような最後を迎えたのかを知ることが大切だと思います。イエスの受難と死は「イエスが誰であったのか」をわたしたちに語ります。

イエスは敵への愛を説きました。これは非常に実行困難と思われる教えです。教えた人が実行しなければその教えは説得力を欠きます。しかし、イエスは十字架の上でこの教えを実行したのです。イエスは自分を処刑する人のために祈って言いました。

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23・34)

 

イエスはなぜ殺されなければならなかったのでしょうか。

イエスは安息日に病者や体の不自由な人の癒しを行いました。その行為は安息日の掟(第三回)を犯すものとされました。またイエスは自分を神に等しいものとしたとされ、冒涜の罪に問われたのです。

彼は嘲られ侮られ貶められ笑い者にされ、見るも惨めな状態で人生の最後を迎えました。人々はイエスを愚弄し、囃し立てました。

「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」(ルカ23・35)

人間の受ける苦しみのなかに侮辱される苦しみがあります。侮られ辱められるという苦しみです。嘲られ馬鹿にされ、見下げられる、という苦しみがあります。

人間は自分の価値を傷つけられることに敏感です。人は少しでも自分に対する否定的な言動を受けると不快になり、怒り、憤りをおぼえるものです。

しかしキリストは「ののしられてもののしり返さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。」(一ペトロ2・23)

今日の第二朗読でパウロは言っています。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」(フィリピ2・6-7)

神の子イエスは侮辱されても復讐せず、自分の栄誉のために、自分の栄光のために、自分の力を使いませんでした。多くの人を癒し奇跡を行い、多くの人にメシアの栄光を現したイエスですが、十字架の上でその力を行使することはなかったのです。

 

わたしたちこのような生き方を貫いたイエスを救い主として仰いでいます。それならわたしたちはどのようにイエスの教えを実行しているでしょうか。

自分を理解しないもの、自分を排斥し、自分に敵対する者のために祈っているでしょうか。些細な侮辱、失礼な言動に対して平和のうちに忍耐を保っているでしょうか。

主イエスに倣う謙虚で忍耐強い生き方を人々に示すことができますよう、祈りましょう。

復活節第2主日 (2016/4/3 ヨハネ20章19-31節)

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[聖書朗読箇所]

教会暦と聖書の流れ

復活節各主日の福音のテーマは次のように捉えることができるでしょう。復活の主日は復活の朝の「空(から)の墓」の物語、第2、第3主日は「復活したイエスと弟子たちとの出会い」の物語、第4~第6主日は「復活したイエスは目に見ることはできないが、今もわたしたちとともにいてくださる」とはどういうことかを示すヨハネ福音書の箇所。

復活節第2主日の福音は毎年同じで、「週の初めの日の夕方」と「八日の後」にイエスが弟子たちに姿を現したヨハネ福音書20章の箇所です(なお、この「福音のヒント」も毎年ほとんど同じです)。このような箇所は2000年程前のある日の出来事であると同時に、今のわたしたちのイエスとの出会いの物語として読むことができるでしょう。

福音のヒント

0415(1) 「弟子たちはユダヤ人を恐れて」(19節)とあります。先生であるイエスが捕らえられ、殺されていった、自分たちにもどんな迫害が及ぶか分からない、町にはイエスの残党を探して捕らえようとしている人々がいるかもしれない。弟子たちは恐怖におびえ、1つの家に閉じこもり、中から鍵をかけて災いが過ぎ去るのを待っていました。

そこへイエスが来て、弟子たちの集いの「真ん中に」立ちます(26節もそうです)。復活したイエスは時間と空間を超越した方ですから、戸をすり抜けてきたと考える必要はありません。イエスは「あなたがたに平和」と言います。これは普通のあいさつの言葉(ヘブライ語なら「シャローム」)でもありますが、21、26節で繰り返されるところを見ると、よほど印象的な言葉だったのでしょう。

弟子たちが求めていたのは自分たちの身の安全でした。しかし、本当の平和は鍵をかけて閉じこもるところにはありません。いくら鍵をかけていても心は恐怖でいっぱいなのです。本当の平和はイエスがともにいてくださるところから来ます。イエスが共にいてくださる、だから何も恐れることはない、これがキリストの平和です。この平和に満たされたとき、扉を内側から開いて出て行くことができるのです。ミサの最後に「行きましょう、主の平和のうちに」と言われるとき、いつも思い出したい場面です。

(2) 復活したイエスとの出会いは、弟子たちにとってゆるしの体験でもありました。「ゆるし」とは「和解、関係回復」の出来事です。父との縁を自ら断ち切ってしまった放蕩息子を、父親が再び子として受け入れること(ルカ15章11-32節)、これがイエスの語るゆるしのもっとも明快なイメージです。イエスを見捨てて逃げてしまった弟子たちはイエスの弟子であることにおいて失格者でした。しかし、復活したイエスは、弟子たちを責めるのではなく、再び弟子として受け入れ、新たに派遣していきます。

(3) 「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」(21節)。これまで父である神から派遣された者としてイエスが地上で行なってきたことを、今度は弟子たちが行なっていくことになります。そして弱い人間である弟子たちが、この使命を果たすことができるように「聖霊」という神からの力が与えられるのです。

弟子たちの使命の中心は「ゆるし」ですが、この使命は「互いに愛し合うこと」(ヨハネ13章34-35節、15章12節参照)と無縁ではないはずです。「ゆるし」は「愛」の典型だと言えるからです。23節の「だれの罪でも、あなたがたがゆるせば、その罪はゆるされる。だれの罪でも、あなたがたがゆるさなければ、ゆるされないまま残る」は、ゆるすもゆるさないも弟子たちの好きにしてよいという意味ではなく、だからゆるしなさい、あなたがたが人をゆるすことによって、神のゆるしがその人の上に実現するのだ、と受け取るべきでしょう。人から愛され、ゆるされることをとおして神の愛とゆるしを実感することができた、という体験はわたしたちの中にもあるのではないでしょうか。

(4) 「トマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった」(24節)。ルカ24章のエマオの弟子たちも他の弟子たちから離れていきましたが、イエスの死という出来事は、弟子たちのコミュニティーをバラバラにしてしまう出来事でもあったようです。トマスは、最後までイエスに従うという覚悟(ヨハネ11章16節参照)を果たせなかった自分に失望し、他の弟子たちにも失望して、弟子の集いから離れていたのかもしれません。しかし、このトマスにイエスが生きているという知らせが届きます。トマスにとって「主を見た」というほかの弟子の言葉は、とても信じられない言葉であったと同時に、信じれば自分の人生のすべてが変わる、という言葉でもありました。トマスは、もしそれが本当ならば自分で確かめたかったのです。だからこそ、「八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた」のではないでしょうか。そしてイエスはトマスを信じる者に変えてくださいました。

トマスは弟子たちの集いの中で、弟子たちの集いの真ん中にいるイエスに出会いました。わたしたちはどこで復活のイエスに出会うことができるでしょうか。

(5) 「見ないのに信じる人は、幸いである」(29節)は、わたしたちキリスト信者すべてに向けられた祝福の言葉だと言えるでしょう。使徒たちの後の時代のすべてのキリスト信者は、「見ないで信じている者」だからです。イエスの復活を信じるとは「イエスと神とのつながりは死によって断ち切られなかった、イエスとわたしたちとのつながりも死によって断ち切られない」と信じることです。イエスの復活を信じるということは「愛を信じる」というのと似ています。人は「目に見えないものは信じない」と言い張ることもできるでしょう。愛も目に見えません。ならば愛も信じられない? しかし、「愛を信じる」こと同様、「復活を信じること」は単なる知的興味の問題ではなく、わたしたちの生き方の根幹にかかわることなのです(トマスにとってはまさにそうでした)。

「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるため」(31節)の原文は「信じていない人が信じるようになるため」とも「信じている人が信じ続けるため」とも取ることができます。ヨハネ福音書はいつも、すでに信じているわたしたちをイエスとのより確かな交わりへと導いてくれる書なのです。

 

ダウンロードできます。

「福音のヒント(Word)」   ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。
「福音のヒント(PDF)」

2016年聖香油のミサ説教

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2016年3月24日、東京カテドラル

[聖書朗読箇所]

説教

本日、聖木曜日は司祭職制定の記念する日です。

「初心忘るべからず」といいます。わたしたちは聖香油のミサのなかで司祭の叙階を受けたときの決心と約束を更新します。

現行の叙階式の式次第によりますと司祭の叙階を受ける者は次のように決意を表明します。 

  1. 聖霊に導きのもとに主の群れを司牧するにあたり、司教団のよい協力者なり、司祭団の一員として、たえず、与えられた祭司の務めを果たします。 
  2. 福音を宣べ伝え、カトリックの信仰を表すことによって、神のことばに奉仕する務めを誠実に果たします。
  3. 神を賛美し信じる民を神に導くために、キリストの秘儀、特に感謝の祭儀とゆるしの秘跡を、教会の伝統に従って敬虔に正しく執り行います。 
  4. たえず祈るようにとの主のご命令に従い、自分にゆだねられた民のために神のあわれみを祈ります。 
  5. 教会共同体の助けのもとに、貧しい人、苦しむ人、助けを必要とするすべての人に、主の名によって、神にいつくしみを示します。
  6. 司教とのきずなの中で、尊敬の心をもって司教に従うことを約束します。
  7. わたしたちのためにご自身を清いささげものとして御父にささげた大祭司キリストに日ごとに固く結ばれ、キリストとともに自分自身を、人々の救いのために神にささげます。 

 

この決意表明を受けて司教は祈ります。「あなたがたのうちに、よい技を始めてくださった神ご自身が、それを完成してくださいますように。」

 

今日はまた、司教と司祭の関係について思いを新たにするときです。 

司教の務めについて教会法は次のように定めています。(新教会法典384条参照) 

  1. 司教の務めとは、協力者、助言者である司祭の意見を聴取しまたその権利を擁護すること。 
  2. 司祭が任務をふさわしく実施できるよう、司祭の霊的並びに知的生活に配慮し、そのために有益は手段と制度を整備すること。
  3. 司祭がふさわしく生活できるように配慮し援助すること。

 

最近行われて司教叙階式において教皇フランシスコは最近次のように言っています。 

  1. 司教になすべき第一のことは、「祈る」ということ。
  2. 司教は司祭に会う時間が取れないほど忙しくしてはならない。 

 

一部、既に述べたことと重なりますが、司祭と司教の関係について、次のように考えます。 

  1. 司祭が司教によく協力できるためには、司教は司祭の意見と提案によく耳を傾けなければならない。
  2. 司教は、司祭の霊的知的生活を守り支え導く人である。そのために司教自身が祈りと研修に励む人でなければならない。 
  3. 司教は、病気などの困難な状態にいる司祭に特別な配慮を示し支援する。
  4. 司教は、司祭の間のよい関係を築くために配慮し努力する。
  5. 教区司教は、修道会・宣教会とのより良い関係を推進するために意を注ぐ。
  6. 首都圏に住む人々の精神的霊的必要に応える。孤独、心身の疾患と障がいなどに悩む人々に寄り添い慰め励ます。
  7. 神の民の信仰の生涯養成、信徒による福音宣教を推進する。
  8. 多国籍・国際的な教会共同体として、神の民がそれぞれの国籍、立場、文化、言語、習慣などを互いに尊重し理解し協力するように努める。 


復活主日のミサ

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2016年3月27日 千葉寺教会にて

説教

わたしたちの教会は、ナザレのイエスという人の復活という出来事への信仰によって成立しました。「イエスの死と復活に出会った」人が深い喜びを体験し、その喜びを多くの人に伝えることによって教会が発展してきました。マグダラのマリアという女性は、そのような体験をした人の代表です。
今日の福音は、マグダラのマリアのお墓参りから始まります。マグダラのマリアという女性は非常に多くの人の関心を引いている人物です。
福音書によれば、彼女はイエスから七つの悪霊を追い出していただいた人(ルカ8・2)でした。今日の第一朗読「使徒たちの宣教」でペトロは「イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのです」(10・38)と言っていますが、彼女にイエスによっていやしていただいた一人でした。
また、イエスに最後まで従い、十字架のもとに佇んでイエスの死を見届けた人でした。そして、何よりも、復活したイエスに最初に出会った人である、という恵に与った人であります。(ヨハネ20・11-18参照)
「週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。」
今日の福音の冒頭に書かれている部分です。マリアはイエスを愛し慕っていました。イエスの十字架上の惨たらしい死を目の当たりにして彼女はどんなにか悲しみ苦しんだことでしょう。
ペトロたち男の弟子たちにとって、イエスの死はすべての終わりと思われたのでしょうが、彼女にとってはそうではありませんでした。生前のイエスの面影を求めて彼女はイエスの葬られた墓に詣でます。
すると、墓は空でイエスの遺体は見当たりませんでした。しかし、この後、マリアは復活したイエスと出会うことになります。そのときのマリアの喜びはどんなにか大きかったことでしょう。
イエスの復活と言う出来事は、弟子たちの全く予想しない出来事でした。マグダラのマリアも生前のイエスの十字架と復活の預言を理解していなかったと思われます。それだけに、彼らの驚きは大きく、喜びも大きかったのです。
聖週間を通じてわたしたちはイエスの受難を黙想してきました。イエスの受難とは人間の罪と悪によって引き起こされた悲劇です。神はイエスの死をすべての人の贖いと救いのために受け入れ、イエスを復活させました。復活は罪と死、悪に対する勝利を意味しています。
イエスは復活し、弟子たちに聖霊を注ぎ、聖霊の働きを通してご自分の使命を遂行させ発展させます。そのような教会の使命は「福音宣教」と言うことばでまとめることができるでしょう。
さてわたしたちは昨年2月8日より本年11月20日まで、「いつくしみの特別聖年」を祝っています。神のいつくしみを深く受けとけ、神のいつくしみを日々出会う人に伝えるよう努めましょう。
「いつくしむ」とは誰かを、唯一かけがえのない存在として大切に思い、大事にすることです。弱さ、間違い、罪があってもその人のかけがえのなさを認めゆるぎない愛をしめすことです。これは、神の恵みなしにはできないことです。
日々祈り、日々自分が受けている神の恵みを新たにし、感謝のうちに自分をささげるようにいたしましょう。

復活節第3主日(2016/4/10 ヨハネ21章1-19節)

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[聖書朗読箇所]

教会暦と聖書の流れ

毎年、復活節第2、第3主日の福音では復活したイエスと弟子たちとの出会いの場面が読まれます。ヨハネ福音書は本来20章(先週の福音の箇所)で終わっていたと考えられますので、21章は後に付け加えられた部分ということになります。先週の福音もそうでしたが、復活したイエスと出会った弟子たちの物語は、遠い昔の過ぎ去った出来事ではなく、今もわたしたちの中で繰り返される出来事として読むことができます。

福音のヒント

0422(1) 「ティベリアス湖」はペトロたちがイエスの弟子になる前に漁師をしていたガリラヤ湖の別名です。復活したイエスと出会った弟子たちは、20章21節で「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と言われていたのに、ここでまた漁師の仕事に戻っているのは不自然な感もあります。登場する弟子たちの名前からするとほとんど同じ弟子たちのようですが、先週の箇所とつなげて読むよりも、復活したイエスとの出会いを伝える別の物語として読んだほうが良いかもしれません(14節の「3度目」という言葉にもかかわらず、これが弟子たちにとって初めての出会いであるようにも感じられます)。イエスが十字架で死んでしまった後、失望し、故郷に帰り、以前の生活と仕事に戻っていった弟子たちがいたのでしょうか。イエスに希望をかけていたが、結局ダメだった。その上、漁をしてもうまくいかない。ここには彼らの大きな失意を感じることができるでしょう。

「不思議な大漁」の話は今年の年間第5主日に読まれたルカ福音書5章1-11節にもありました。それはイエスの活動の初期の話で、ガリラヤ湖の漁師であったペトロたちがイエスの弟子になっていくきっかけとなった出来事でした。きょうのヨハネの箇所はもちろん、復活後の出会いの物語です。この2つの記事がどのように関連しているかはよく分かりません。ただ、失望と落胆の中でイエスに出会い、喜びと希望を取り戻していったという体験は、イエスの生前にも、そして復活後にも何度もあったことなのでしょう。

(2) 4節にあるように、復活したイエスは一目見ただけではそれと分からない姿だったようです。「イエスが生きている、わたしたちと共にいてくださる」ということはいつも心の目が開かれなければ悟れないことなのです。イエスの愛しておられた弟子(おそらくヨハネ)が「主だ」と気づいたのはなぜでしょうか。ルカ5章にあるような不思議な大漁の出来事をかつて体験していたのだとすれば、イエスの生前に起こった出来事と目の前で起きている出来事が結びついたから「主だ」と悟ったと言えるかもしれません。「主だ」は「主がおられる」とも訳すことができます。福音書の伝える出来事が今の自分たちの現実と結びつく時に「ここに主がいてくださる」と気づくという体験は、わたしたちにもあるのではないでしょうか? (なお、8節の「二百ぺキス」は約100メートルです)

(3) 9節に「陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった」とあります。結局、イエスがすべてを前もって用意していたわけです。同時にイエスは弟子たちの働きも無駄にはしていません(10節「今とった魚を何匹か持って来なさい」)。こういう体験はわたしたちの中にもあるのではないでしょうか?自分が一生懸命やったつもりだったのに、実はイエス(あるいは神)のほうがすべてを整えていてくれたという体験です。その中で、「自分たちの働きも決して無駄ではなかった」と感じさせられることがあったかもしれません。「さあ、来て、朝の食事をしなさい」という言葉でイエスは弟子たちを食卓に招きます。13節のパンと魚は、「5つのパン」の出来事を思い出させます(ヨハネ6章参照)。聖体ともつながるイメージでしょう。

(4) 15節以下で、イエスが3度ペトロに「わたしを愛するか」と問いかけた話の背景には、イエスが逮捕されたときにペトロが3度イエスを知らないと言ったことがあります(ヨハネ18章17,25,27節参照)。

3回のやり取りの中で「愛する」と訳された言葉は、原文のギリシア語では「アガパオーagapao」と「フィレオーphileo」という2種類の言葉です。一般的に「アガパオー」は、「神の愛」というときに使われる「本当に相手を大切にする愛」であるのに対して、「フィレオー」はどちらかというと「人間的な愛着」を表すときに使う言葉です。この箇所で厳密に区別があるかどうかは断言できませんが…。

ここでは最初、イエスは「アガパオー」で問いかけますが、ペトロは「フィレオー」で答えます。2回目のやり取りも同じです。イエスを否認したペトロが「アガパオー」での問い(「あなたはわたしを大切にしているか」という問い)に対して、「フィレオー」(「わたしはあなたが好きです」というような意味の言葉)でしか答えられない気持ちはよく分かります。そして3度目に、イエスのほうが「フィレオー」で問いかけるのです。「あなたを大切にしています」と言い切ることができず、ただ「あなたのことが好きです」としか言うことのできないペトロを見て、イエスはペトロのところまで降りてくると言えるでしょうか。このように考えると、この対話は罪の重荷に苦しむペトロにとって、イエスの愛とゆるしを受け取る大きな体験だったと言うことができるでしょう。

(5) 「わたしの羊を飼いなさい(わたしの羊の世話をしなさい)」は、ペトロに与えられた特別な使命と見ることができるでしょう。18節の言葉、「あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」はペトロの将来を暗示していますが、実際にペトロは紀元64年ごろローマで殉教したと伝えられています。もしかしたらこの言葉もわたしたちの中にある1つの実感ではないでしょうか。若い時は自分の思い通りになったことがだんだんそうは行かなくなる。望まない地位に着かされたり、病気や高齢で思うことができなくなったり、という経験は多くの人にあることでしょう。その中に「神の栄光」(19節)が現れると感じることができれば、それは幸いなことです。

 

ダウンロードできます。

「福音のヒント(Word)」   ※集い用に、A4サイズ2ページで印刷できます。
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神のいつくしみの主日・ミサ説教

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2016年4月3日
けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会東京修道院 にて

[聖書朗読箇所]

説教

東京カテドラルのなかに「いつくしみのイエス」の肖像画が陳列されています。  
この御絵は1931年2月22日、ポーランドのいつくしみの聖母修道女会の修道女シスター、ファウスティナ・コヴァルスカに現れた主イエスのヴィジオンを描いたものです。同日の日記でファウスティナは次のように述べています。  
「夕方、修室にいた時、白い衣服を着ていらっしゃる主イエスを見ました。片方の手は祝福を与えるしぐさで上げられ、もう片方の手は胸のあたりの衣に触れていました。胸のあたりでわずかに開いている衣服の下から、ふたつの大きな光が出ていましたが、一つは赤く、もう一つは青白い光でした。波黙のうちに主を見つめていました。 しばらくして、イエスはわたしに言われました。「あなたが今見ている通りに絵を描きなさい。その下に『イエス、わたしはあなたに信頼します』という言葉を書きなさい。わたしのこの絵が、まずあなたたちの聖堂で、そして世界の至る所で崇められることを望む。」  
さて、シスター、ファウスティナは2000年4月30日復活節第二主日に教皇聖ヨハネ・パウロ二世によって列聖された。その際、教皇は、以後復活節第二主日を「神のいつくしみの主日」と呼ばれるようにする、宣言しました。  おりしもわたしたちは「いつくしみの特別聖年」を祝っています。神のいつくしみとは何であるのか、しみじみ深く知ることができるよう、祈りたいと思います。  
今日の福音、ヨハネ20章は、弟子たちが復活したイエスに出会った体験を述べています。それは復活したイエスを通して弟子たちが「神のいつくしみ」を深く体験した出来事でした。  
では「神のいつくしみ」とは何でしょうか。旧約聖書、新訳聖書における「いつくしみ」の意味を学ぶことが必要です。  
しかしきょうは教皇、聖ヨハネ・パウロ二世は回勅「いつくしみ深い神」(ペトロ文庫、カトリック中央協議会)でのべている「神のいつくしみ」について、わたくしが理解した事項を、以下に簡単に紹介するに留めます。

1.「いつくしみ」とは、「上から目線」の態度ではない。それは受ける側を小さく見て人間の尊厳を傷つけることになる、という結論するのは早急すぎる。  「いつくしみ」とはすべての人間に存在する人間の尊さ、美しさ、善さを分かち合うことである。

2.「いつくしみ」とは人の悪をただ見て同情することではなく、世界と人間の中に存在する悪からもよいことを見出し、引き出し、促進する、創造的な愛である。

3.それは一方的な与える行為ではなく、与える人が同時に受益者となることを意味する。  
一方的に他の人に善を施すということではなく、わたしたちから「いつくしみ」を受け取ってくれる人々から、実は同時にわたしたちも「いつくしみ」を受けているのだ、と深く確信するときに成り立つ。

4.「愛といつくしみ」が実現するのは、人がそれぞれ人間の固有の尊厳を認め合うときである。  この教えをさらに深く考え祈り求めたいと思います。

復活節第4主日 (2016/4/17 ヨハネ10章27-30節)

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[聖書朗読箇所]

教会暦と聖書の流れ

復活節第4主日には毎年、ヨハネ福音書10章の羊と羊飼いのたとえが読まれます(「良い牧者の主日」と呼ばれるのはそのためです)。たとえは3つの部分に分けられて3年周期で読まれますが、今年(C年)は3番目の箇所です。22-23節に「そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた」という言葉がありますので、前のたとえと場面は変わっていますが、内容的にはつながっています。どのたとえにも共通しているのは、「羊と羊飼い」の間にある深いつながりです。復活して今も生きているイエスとわたしたちの間にある深いつながりを味わうためにこれらの箇所が選ばれています。

福音のヒント

0429(1) 短い箇所ですが、羊飼いであるイエスとわたしたち(羊)との深いつながりを感じることができるでしょう。1つのキーワードは「聞く」という言葉です。27節では「聞き分ける」と訳されていますが、ギリシア語では「アクオーakuo」で、普通はただ「聞く」と訳される言葉です(ここでは他の人の声と違うものとして聞き分けるという意味で受け取られています)。この「聞く」という言葉は、ヨハネ10章に何度も出てきます。3節「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す」。8節「わたしより前に来た者は皆、盗人(ぬすびと)であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった」。16節「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける」。いずれも「アクオー」という動詞が使われています。

8節のように、「聞く」には「聞き従う」の意味もあります。日本語でも「聞く」は、ただ単に「耳で聞く」だけではありません。「お母さんの言うことを聞く」は「聞いてそのとおりにする」=「聞き従う」の意味があります。「神の声を聞く」というのは、単に言葉として聞くのではなく、その言葉を自分に向けて語られた神の呼びかけとして聞き、それに応えていくことです。きょうの27節も「聞き従う」の意味で受け取ることができます。わたしたちがイエスの声を聞く、というのはどのような体験でしょうか。

(2) もう一つのキーワードは「知る」です。27節「わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う」。この「知る」はただ単に知識として知っているというのではありません。むしろ、両者の深いつながりを表す言葉なのです。これも日本語で「○○さんを知っていますか」というときの知るに似ています。この質問は、「知識として知っているか」という意味だけでなく「かかわりがあるか、会って話したことがあるか」という関係を問う問いなのです。聖書の中での「知る」も、いつも「かかわりをとおして知ること」を意味しています。
10章4節には「羊はその(羊飼いの)声を知っている」という表現があります。14節でも「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである」とあります。「互いが互いを知っている」というのは本当に深く結ばれた関係であることを表しています。何よりもイエスがわたしたちを知っていてくださるということはどれほど大きな恵みでしょうか!

(3) 10章のたとえは、9章でイエスが生まれつき目の見えない人をいやした物語から直接続けて語られています。羊のために命を差し出す良い羊飼いの姿は、安息日であっても目の前の苦しむ人に救いの手を差し伸べたイエスの姿そのものだと言えます。

9章の盲人の話を思い出しましょう。彼はイエスによって目に土を塗られ、シロアムの池に行っていやされました。つまり、彼はイエスの姿さえ知らずにいやされたことになります。彼はイエスという方が自分をいやしてくれたことを知っていますが、イエスについて、それ以外の知識は何もありません。「その人はどこにいるのか」と問われた彼は「知りません」と答えます(12節)。さらにファリサイ派の人々に問い詰められて、とうとうこう言います。「あの方が罪人(つみびと)かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです」(25節)。最終的に35節以下で、彼は再びイエスに出会い、「主よ、信じます」と告白します。しかし、この人のイエスに対する根本的な「知り方」は、出会いをとおして自分が変えられたという体験だったのです。わたしたちはどのようにイエスを「知っている」でしょうか。

(4) イエスの復活によって実現したことは、次の2つのことだと言えるでしょう。

1つはイエスと父である神とのつながりの完成。父である神は、イエスを死の滅びの中に見捨てることなく、ご自分のもとに引き上げ、永遠に父である神とともに生きるものとしてくださった。「わたしと父とは一つである」(30節)ということはイエスの復活においてはっきりと示されるのです。

もう1つは、イエスとわたしたち、父である神とわたしたちとのつながりの完成です。復活したイエスは、目に見えないが今も生きていて、わたしたちとともにいてくださる。このイエスとわたしたちの絆(きずな)は決して絶たれることがない。また、イエスをとおして父である神と結ばれたわたしたちと神との絆も決して絶たれることはない。「だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない」(28節)、「だれも父の手から奪うことはできない」(29節)と、この箇所で約束されているとおりです。なお、29節の「わたしの父がわたしにくださったもの」はイエスに従う羊(信じる人々)のことでしょう。ただし、この箇所を「わたしに(彼らを)くださった父は、すべてのものより偉大」と読む写本もあります。

イエスを死の滅びの中に見捨てなかった神は、決してわたしたちをも見捨てない。イエスは今もわたしたちとともにいて、わたしたちを決して見捨てることはない。これが福音の約束です。厳しい現実や死に直面したときにこそ、この約束はわたしたちに大きな力を与えてくれるのではないでしょうか?

 

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東京教区ニュース第331号

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ヴェルキ枢機卿を迎えてのミサ
  三賢王の聖遺物安置式

kn_33113sケルン教区のヴェルキ枢機卿が、教区長として公式に東京教区を訪問し、3月6日、東京カテドラルにおいて、ミサが行われた。
kn_33112sミサでは、ケルン教区の大切な宝である「三賢王(マタイ福音書に登場する、東方から幼な子を訪問した占星術の学者たち、いわゆる三人の博士たち)」の聖遺物が贈られ、ケルン教区から贈られた聖フランシスコ・ザビエルの聖遺物の隣に安置された。kn_33114s
kn_33111skn_33115s

ヴェルキ枢機卿との出会いについて、岡田大司教に話を聞きました。

カテドラルのミサ後に、ヴェルキ枢機卿と懇談されたようですが?

岡田 まずは、ドイツにおける難民の受け入れのことがテーマとなりました。 「教会として、故郷を追われて避難してきた人を受け入れ、宿泊場所を提供するのは当然なことで、教皇フランシスコの強い要望でもある。このことに対しては、抵抗もあるし、困難なこともあるが、教会にとってのチャレンジと受け止めている。教会が、そのことと向かい合う中で、必ず行くべき道が開かれることを確信している。人間の尊厳、基本的人権を脅かすものに対して、揺るぎない姿勢を貫くことは教会の使命であり、キリスト者の役割である」と明確に語られました。 第2次世界大戦の反省の上に立つドイツの枢機卿としての強い意志が伝わってきました。

他にはどんなテーマが?

岡田 東京教区の課題ともつながるように感じましたが、司祭数が減少し、召命も同様になる中で、司祭が居住しない小教区も増えてきているそうです。  
今まで家から300mほどの所にあった小教区に司祭が居住しなくなり、ミサのためには、家から600mの教会に行く必要に迫られるような場合、その教会に行くのは面倒がって、近くのプロテスタント教会に行くということも多々あるようです。司祭不在の際の主日の祝い方、そういう場合の日本の教会の取り組みなどに関心を示されていましたね。隣のさいたま教区では、司祭不在の集会祭儀は一般的です。  
東京教区では今のところ、主日にミサがないというケースはあまりありませんが、これはある意味、東京教区の場合が例外的なんですが。

大司教が関心を持ったテーマなどは?

岡田 信徒の養成にアジアの教会の知恵を参考にしたいと枢機卿は話されました。フィリピンにある、信徒の養成プログラムを展開している施設があり、試験的にそこに信徒を送りたいということを検討しているとのことでした。アジアの教会の知恵に学びたいという姿勢は、多少、外交辞令の面もあるでしょうが、枢機卿の真剣なまなざしに、ちょっと驚かされました。

何か枢機卿のエピソード的なことがあれば?

岡田 深い意味はなかったのですが、私は司教用のスータンを着ていて、帯を締めていなかったのですが、枢機卿は帯を締めていました。私の帯なしのスタイルを見て、さりげなく、ご自分が締めていた帯を外されました。優しく、気配りのある方ですね。

主にささげる24時間

教皇フランシスコの呼びかけに応え、 世界のキリスト者と心を合わせて祈る

kn_33120s3月4日(金)から翌日にかけて、東京カテドラルで、教皇フランシスコの呼びかけに応え、世界のキリスト者と心を合わせて祈る、主にささげる24時間が行われた。主会場はカテドラルではあったが、小教区、それぞれの生活の場でも、同じ意向で祈りの時を持たれた方が大勢いらした。  
kn_33121sカテドラルでは、午後7時の英隆一朗神父(麹町教会)の講話からプログラムがスタートした。  
kn_33122sルカ福音書の「放とう息子のたとえ」をテキストにして、神のいつくしみについて解説をしながら、キリスト者の日々の信仰生活、神との親しい交わりへの示唆を、ご自分の体験を交えて話された。特に英神父が翻訳に関わった教皇フランシスコの評伝(「教皇フランシスコ─キリストとともに燃えて─」明石書店)に登場するベルゴリオ時代の彼の生きざまを紹介されたのも非常に新鮮に響いた。  
kn_33123s聖体顕示と礼拝、ゆるしの秘跡、テゼの祈り、共同回心式などのプログラム、5日の午後6時からのミサまで、絶え間ない祈りが続けられた。文字通り、24時間をささげられた方も、少なからぬ人数を数えた。  
kn_33124s深夜の礼拝では、睡魔と寒さの中、体を動かしながら、それぞれの仕方で、主と向かい合う信徒の姿は、印象的であった。主にささげる24時間は、互いの祈りへの刺激の機会となったのではなかろうか。カテドラルに集まった方々、それぞれの場で心を合わせて祈られた方に感謝です。

カトリック東京大司教区主催
 東日本大震災復興祈念行事 「思いつづける 3.11」
 〜犠牲者・被災者・避難者のために祈るつどい〜

3月11日、あの日からちょうど5年を迎えました。  
kn_33125sカトリック東京大司教区が「思いつづける3・11~犠牲者・被災者・避難者のために祈るつどい~」をカトリック東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂で主催し、CTVCが企画の協力をさせていただきました。  
kn_33126s青田絹江さんによるパイプオルガンに始まり、荒木泰俊さんの指揮、神林紘一さんによるテノール、そして国立音楽大学創立90周年記念合唱団による荘厳な演奏の中で黙想し、祈りを捧げました。そして震災後福島県いわき市から東京へ自主避難している歌手のYUKARIさんが、故郷への思いと今の気持ちを歌い上げる中、震災直後から現在までを映像で振り返りました。2時46分には鐘が鳴り響き、皆で黙祷を捧げました。  
岡田大司教は説教の中で、日本のカトリック司教団が原発の即時廃止を訴えたことを改めて強調されました。 共同祈願ではボランティアに参加された方々が、関わっている被災地の方々にための祈りを捧げ、被災地の8つのカリタスベースからは仮設住宅でつくられた手芸品など活動を象徴するものが集められ、奉納されました。 5年という節目を迎え、被災地の方々と参加者の方々の特別な思いが交じり合い、ひとつの祈りとなった1日でした。これまで5年間にわたるカトリック教会の被災地支援活動が、常に祈りとともにあり、お互いの祈りの力に支えられてきたこと、そしてこれからも祈りながら支援活動を続け、被災者・避難者の方々に寄り添って歩みたいという思いをともにする時間となりました。

CTIC カトリック東京国際センター通信 第198号

聖週間と巡礼

いつくしみの特別聖年にあたり、岡田大司教は、教区内の六つの教会を巡礼のための指定聖堂と発表されました。  
これらの教会を巡るための巡礼手帳は、日本語版がすでに教区から発行されていましたが、この度、英語版とスペイン語・ポルトガル語版が出来ました。表紙のデザインは異なりますが、内容は日本語版とほぼ同じです。なお、スペイン語・ポルトガル語版は二つの言語で一冊になっています。英語版、スペイン語・ポルトガル語版についてのお問合せはCTIC 電話03(5759)1061 までお願いします。  
さてこの機会に、フィリピンのカトリック信者たちの間で聖週間に実践されている教会訪問(巡礼)の伝統についてご紹介したいと思います。この教会訪問では、人々は特にゲッセマネの園でイエスが苦しみ、祈られたという聖書の場面を黙想して祈ります。ゲッセマネの園でイエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人の弟子に「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい」と言われました。  
イエスは今も、とどまり、目覚め、受難の時ご自分と共にいるようにと信者たちを招いておられるでしょう。そこで、教会訪問はゲッセマネでイエスと共に祈るように、聖週間、特に聖木曜日に行われます。人々は習慣的に7つか14の教会を回ります。教会訪問のための特別な祈りはありません。人々は、一人で静かに祈ったり、ロザリオをして黙想したり、十字架の道行きをするなど、形はそれぞれです。大切なのは、皆が熱心に心から祈っているということです。また、貧しい人や苦しんでいる人のために祈ることも勧められています。  
教会訪問をする巡礼者たちは、罪のゆるしを求め、巡礼を遂げるなら、免償の恵みが受けられると深く信じているのです。  こうした伝統はフィリピンを300年以上支配していたスペインの影響によるものですが、その実践によって家族や友達の絆を強めると同時に、祈りや回心へと導いてくれます。ですから、日本にいてもかなりのフィリピン人がこの教会訪問を実践しています。  
フィリピンの教会は、いつくしみの特別聖年の巡礼を灰の水曜日から聖霊降臨までの間に行うように呼び掛けていますが、それは毎年行われる聖週間の教会訪問が念頭にあるのでしょう。日本では、特別聖年の間いつでもが巡礼に適した時とされています。教会訪問はフィリピンほど一般的な習慣ではないかもしれませんが、信仰を深め、熱心に祈る素晴らしい機会になると思います。さらに付け加えるなら、色々な国の人が一緒にこの特別聖年の教会訪問ができたなら、もっと素晴らしいと思います。  
エルリン・レゴンドン
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カリタスの家だより 第81回
  今、そこに生きているだけでいい

現代の社会の中では、生きづらさを抱えている若者が多くいると思われます。そしてその生きづらさがいろいろな障害を生んでいるのです。  摂食障害もその一つです。今回は、摂食障害の自助・ピアサポートグループNABA代表の鶴田桃エさんの文を紹介します。鶴田さんは、カリタスの家のボランティア講座、9月24日の講師です。


私の父は鹿児島生まれの長男で、努力や根性を信念とし、「男らしい立派な男」と評価を得ていた。「前向きに明るく」「頑張れば何だってできる」「笑顔で生きれば未来がある」などとよく言っては、豪快に「あっはっはは」と笑っていた。また、我が家は外から見ると「とてもうらやましい」と言われた。しかし、父はしつけと称しては母や姉2 人を怒鳴り、時には手も出た。そんな父に他の3人の女たちは反発していた。私が何より辛かったのは母が不幸そうだったこと。「父を、母を喜ばせたい。鶴田家の恥になってはならない」と、小・中学と私はとにかく頑張っていた。  

15才の頃、私は急に一人でムチャクチャ食べ始めるようになった。その後、大学卒業や就職しながらも15年余りを拒食と過食、過食嘔吐を繰り返した。この間、受診した有名な摂食障害の専門医たちは「過去に囚われず、前向きに頑張って」と異口同音だった。生きることも死ぬこともできなくなっている私に、父はなおも「桃エ、笑え、笑ってごらん」と言うばかりだった。身も心も石のように固まる私は、もう昔のようにはできなくなっていた。  
27才で私はNABAにたどり着いた。自分のことが大嫌いだったから、似たような人とは会いたくはなかった。ただ、私が暴れるまでになり、追い詰められた母も父も家出して、本当に独りぼっちになり寂しさでつながった。当時はNABAでも嫌われたくなくて、明るく振る舞った。しかし、仲間の暗い話や過去を聞く中で、ホッとしている自分がいた。でも、それらは決して暗いのではなく、その人の正直な言葉、ありのままの姿だとわかっていった。笑いたくない時は笑わない、辛い時は辛いままでいる。私が私のままで受け入れられる場。私自身が捨て去ってきた過去と向き合う場。人に絶対に言えないと思っていたことこそ話すと共感しあえたり、気付くと自然に皆と笑いあっている自分がいた。  
母も親の会につながって「私を生きる幸せ」をみつけられるようになった。一方、父は晩年まで頑固だった。そんな父からある日「桃エ、明るく頑張っているか?」と聞かれた。相変わらずだなぁと苦笑しながら「うん、うん」と応える私に、「あっ、NABAは“頑張れ”じゃなくて“いいかげんに生きよう”だったな」と大笑いする父がいた。父が脳梗塞で倒れる直前、雑踏での偶然の再会だった。そうした父との思い出に今も励まされている。  
私にとって摂食障害は、神様に与えられたと同時に、私が私自身のために必要で、獲得した“術”だった。あの頃はどんなに辛くても症状がなかったら、私の魂はちぎれ、生き残れなかったと思う。  今日もこの世界では、様々なことを抱えながら追い詰められている人たちはたくさんいるだろう。今日一日、今、そこに生きているだけでいい。願わくば、分かち合える人や場と出会ってほしい。そして、共に生き残ってゆけるよう祈っている。

東京カリタスの家  03-3943-1726  http://www.tokyo-caritas.org

おめでとうございます

助祭叙階

助祭叙階式 受階者  パウロ   野口 邦大   2016年2月20日 成田教会にてkn_33142s
助祭叙階式 受階者  ミカエル 泉 雄生      2016年3月13日  習志野教会にて kn_33141s

カトリック東京ボランティアセンター No.42

東日本大震災発災から5年という節目の年になりました。復旧復興も進み、仮設住宅から復興住宅に引っ越しをされるニュースも流れるようになりました。  しかしながら、CTVCカリタス原町ベースの位置する、福島県浜通り(太平洋沿岸部)は、地震・津波に加えて、原発事故と風評被害の4災害を経験し、「避難指示解除準備区域」が解除となり、帰還が可能となる地区もありますが、まだ、「帰還困難区域」は依然として残されたままです。 家屋の内外の整備のボランティア活動もまだまだ継続です。そして、応急仮設住宅の暮らしもまだまだ続いています。さらに、5年たった被災地はどうなってきたかを知りたい方々も増えてきています。その方々のためにも、被災地のご案内は大切な使命と考えています。 kn_33144s 
原町ベースもボランティアさんたちの受け入れ・地域の方々とつなげる活動も継続し、なお一層の工夫と創造性が求められるようになってまいりました。kn_33143s  
被災地地元の現状を県内外はもちろん、日本国内外にも発信しなければならないと強く思うようになりました。そして、できるだけ多くの方々が被災地に足を運んでいただいて、現状を見ていただけるようにして参りたいと思います。原発再稼働に際しても、まず、原発事故による影響下にある現状を見て、検証し、再考に再考を重ねていただきたいと切に願います。そして、そこで暮らす人々がいることを忘れないでください。

泉町教会(八王子教会分教会) ミサ時間の変更について

現在    月の第2日曜日 10:00
4月から  月の第2土曜日 16:00となります。
八王子教会 主任司祭 辻 茂

「世界召命祈願の日ミサ」 および「懇親会」のご案内

2016年4月17日(日)  復活節第4主日   14:30よりミサ

東京カテドラル聖マリア大聖堂で(ミサ)     
懇親会(ミサ後ケルンホールで)

主司式:岡田武夫大司教    主催:東京大司教区一粒会

いつくしみの特別聖年 講 演 会

2016年7月23日(土)午後3時
場所と講師:
築地教会:鈴木信一神父(聖パウロ修道会)          
西千葉教会:ホアンマシア神父(イエズス会)

教区司祭紹介第61回

人が生きるということは どういうことなのか、という問いが、 いつも頭の片隅にありました

kn_33151sパスカル 宮下 良平 神父
1954年6月3日生まれ 1993年3月7日司祭叙階

ご出身は?

宮下 長野県上伊那郡飯島町です。両親と姉、祖父母、そして私の6人家族でした。

子どもの頃の思い出は?

宮下 飯島町は、ふたつのアルプスが見える町で、東に南アルプス、西に中央アルプスを望む、自然豊かな田園地帯です。  
子どもの頃の思い出としては、冬の日曜日などに、まだ暗いうちに早起きして、1時間から1時間半くらい歩いた場所にある池に行って、スケートをしたことなどが印象に残っています。今はその池も凍結することはなくなってしまいましたが。

キリスト教との出会いは?

宮下 立教大学に進学し、ゼミで一緒だった友人が、真生会館に通っていたことがきっかけで、私も通うようになりました。哲学に興味があったので、佐伯岩夫先生のアリストテレスのニコマコス倫理学のゼミに出席したりしていました。  
立教大学に中沢宣夫先生という方がいて、無教会主義のキリスト者で、人当たりの良い魅力的な方で、そのゼミにも出席していました。中沢先生は、アウグスチヌスの「三位一体論」の翻訳にも取り組まれ、出版もされた方です。  
私が20才の時に、母が亡くなりました。大学時代は、人はなぜ生きるのかという哲学的なテーマを常に身近に問い続けていました。

洗礼への道のりは?

宮下 大学4年の夏、清里で大学主催のキャンプがありました。私は母の死もあり、人が生きるということはどういうことなのか、という問いが、いつも頭の片隅にありましたが、他の学生は遊びの感覚で出席していました。キャンプの締めくくりのグループの発表者に私が当たってしまいました。発表前夜、何を発表するか悩み、母の死のことや父の姿などを話すことにしました。 私はそのとき「今までのすべてに感謝」という気持ちで満たされました。そして、私は洗礼を受けたいと素直に思いました。翌日、洗礼を受けたいことを参加者の前で、発表しました。  
私は、洗礼について考える中で、信仰との出会いは真生会館にあったことにあらためて気づき、聖公会ではなく、カトリック教会での洗礼を決断し、真生会館で洗礼の準備を始めました。

その時の指導者は?

宮下 深水正勝神父でした。深水神父は、「真生会館は小教区ではないので、信仰生活を生きるのは小教区だよ」と話され、当時の住まいの近くにあった関口教会に行くように勧めてくれました。  結局、学びは当時の森一弘神父のもとで続けることになりました。

kn_33153s関口教会での思い出は?

宮下 恩師の一人になる関戸順一神父との出会いや、青年会の活動を通してのたくさんの思い出があります。関戸神父を中心に青年が集まり、スキーに行ったり、教会行事を手伝ったり、活発に活動していました。

召命のきっかけは?

宮下 上智大学の職員として就職し、小教区で活動しつつも、心のどこかに漠然と召命のことは感じていました。ただ踏み出すことはできませんでした。  
ある時、関戸神父が何気なく「神様は、思いどおりのことを、ご自分の思いどおりのなさり方で行う」という言葉を口にしたことがありました。私のことをよく知っているので、内心「何言ってるんだ。」と反発しました。しかし、一週間たって、召命のことから逃げているなと思い知らされました。  就職して一年目、飯田橋にある御受難修道会の「みことばの家」から職場に通っていました。居住費の安さに惹かれてでしたが、その条件は、毎朝のミサに出ることでした。そんな関わりもあり、同修道会への入会を志願し、修練を始めました。

kn_33152s修練中の思い出は?

宮下 修練中、毎週金曜日、午前3時半に起きて、近くの油山という場所に、何も持たずに出かけるというプログラムがありました。午後3時に修道院に戻るまでは、何も食べず、何も飲まずの単独行動です。修道院に戻り、福音書の受難箇所を朗読し、黙想するという一日でした。蛇の多い山道だったので、木の枝で足元を払いながら歩きました。当時は、いやで仕方ありませんでしたが、今、振り返ると、貴重な思い出です。  修練を始めて夏頃、自分の召命は修道生活ではなく、教区司祭であることに気づきました。修練長にそのことを話し、しかし一年間、修練を続ける許可をいただき、一年後、東京教区に移りました。

そんな歩みに対する関戸神父の反応は?

宮下 関戸神父は内心喜んでいたと思いますが、私に特別何か言うこともなかったのですが、一つの忘れられない出来事があります。  
1992年5月の連休の最終日に、関戸神父と食事をしました。その直後、5月13日に突然、関戸神父が帰天されました。そのときの食事がこの世での最後の食事でした。7月に助祭叙階を控えていたので、私にとってショックな出来事でした。しかし「おまえは関戸神父の弟子ではない。これからの新たな出会いの中で生きるように」という神様の計らいが込められていると感じました。そして多くの神父と出会わせていただきました。

インタビューを行った局長室に「忘己利他」という掛軸があったので、そのことを尋ねました。

宮下 これは京都教区の田中健一司教が最近寄贈されたものです。「もうこりた」と読みます。天台宗の開祖、最澄の言葉で、自分のことは後にして、まず人に喜んでいただくことをする、それは仏さまのわざで、そこに幸せがあるのだという意味です。揮毫は、第253代天台座主の山田恵諦師です。

2017年 教会音楽祭のテーマ曲歌詞を募集

2017年(来年)の6月、第33回教会音楽祭の開催を予定しています。日時、場所等の詳細は未定ですが、決まり次第お知らせします。  

今回のテーマは「心ひとつに〜争いから交わりへ〜」。テーマがイメージを限定することなく、むしろあらゆる状況、思いを喚起するものであって欲しいと考えました。神の民として集い、心をひとつに、共に賛美の時を迎えられるよう準備して参ります。  

このテーマに即した歌詞を募集します(曲については採用された歌詞を発表してから募集を開始します)。審査は、教会音楽祭実行委員会にて行います。  

応募要件は、以下の通りです。

応募要件
❶1人1作品とし、未発表のものに限る。

❷歌詞の題は「心ひとつに」とすること。

❸応募作品が採用候補作品とされた場合でも、作者と相談の上、教会音楽祭実行委員会で添削する場合がある。

❹入選作品の著作権は、教会音楽祭実行委員会に帰属するものとする。

❺応募の際、いずれかの教派・教会に所属している場合は、教派・教会名を明記すること。 尚、採用作品は広く教派を超えて自由に用いられるものであることを理解の上、ご応募ください。

提出先:〒105-0011 東京都港区芝公園3-6-18 日本聖公会 東京教区事務所内 礼拝音楽委員会
(「教会音楽祭 歌詞応募」と明記のこと) PCメールによる提出については、下記のホームページをご覧ください。 

応募締切:2016年8月1日(月)〔消印有効〕

発表:採用作品の作者には8月末日までに直接通知します。 一般には「曲募集」を持って発表にかえさせていただきます。

問い合わせ先:各教派の教会音楽祭担当委員、 または「教会音楽祭」ホームページ http://cmf.holy.jp/

第40回日本カトリック映画賞授賞式と上映会

日本カトリック映画賞受賞作品:「あん」 監督 河瀨直美

kn_331615月5日(木・祝日) なかのZERO(ゼロ) 大ホール(12:10開場)
13:00 「あん」 上映開始
15:00 休憩
15:15 第40回 日本カトリック映画賞授賞式
樹木希林・観世あすか
オフィシャルアドバイザー・晴佐久昌英神父 鼎談
チケット料金 1,000円
高校生以下、障がい者(介助者含む)800円
前売り券販売場所 聖イグナチオ教会案内所 03-3230-3509
サンパウロ書店(四ツ谷駅前) 03-3357-8642
スペース セント ポール 03-3941-4971
高円寺教会天使の森 03-5307-6680
ドンボスコ社 03-3351-7041
*当日券若干有

上映のバリアフリーに関してはお問い合わせください。
問い合わせ 担当 大沼美智子 TEL 090-8700-6860

※日本カトリック映画賞とは、SIGNIS JAPAN (カトリックメディア協議会)主催の映画賞です。
毎年、会の趣旨に沿った選考で1作品に授与されています。

VIVID

ミサ・祈りの集い・黙想会

■カルメル青年黙想会 

神のいつくしみ
4/16(土)16:00〜4/17(日)16:00 
カルメル会聖テレジア修道院で(黙想)(東急大井町線上野毛駅下車)
対象:高校生以上の青年男女(35歳まで)
指導:福田正範神父・他カルメル会士
参加費:一般¥10,000 学生¥7,000 
定員:20名
申込:カルメル会聖テレジア修道院(黙想)
青年黙想会係(〒158-0093 世田谷区上野毛2-14-25 Tel/03-5706-7355 Fax/03-3704-1764)
e-mail:mokusou@carmel-monastery.jp 
住所・氏名・性別・年齢・TEL・所属教会名を明記の上、ハガキ・Fax・e-mailのいずれかで
4/9(土)まで必着

■「賛美の花」聖堂を飾る花の講習会

〜タミエ修道院(フランス)方式による〜
4/29(金・祝)10:30〜16:00 
世田谷教会で
テーマ:「聖霊降臨」 
内容:①聖書朗読 ②黙想 ③イメージ作成 ④昼食 ⑤花材採集 ⑥制作 ⑦作品講評
講師:関根英雄神父 
参加費:¥2,000(昼食代込)花材は教会の庭で採集 
先着12名
要申込:ハガキ 4/11(月)必着

■黙想会のお知らせ

4/23(土)13:30〜16:40(16:00ミサ) 
マリア会シャミナード修道院で 
テーマ:「復活の意味」
指導:青木神父(マリア会) 
どなたでも参加可
タイトルを「黙想会」と書いて、氏名、フリガナ、連絡先、所属教会を明記の上、申込
申込:e-mail:jmlcgoodnews2@gmail.com
http://www.cafemlc.jimdo.com

■一日静修へのおさそい

5/28(土)10:00〜16:00 受付9:30〜
コングレガシオン・ド・ノートルダム調布修道院で (〒182-0034調布市下石原3-55-1)
テーマ:「混沌の時代をイエスとともに歩むこと」
指導:中川博道神父(カルメル修道会)
対象:どなたでも参加可 
先着70名
会費:¥1,000(昼食・飲み物持参)
申込:住所、氏名、電話番号を記入の上、FAXかメールで 
同調布修道院 Fax/042-482-2163
e-mail:cndmokuso@yahoo.co.jp
問合せ:Tel/042-482-2012(平日9:00〜17:00)
主催:コングレガシオン・ド・ノートルダム アソシエート

■清瀬教会講話 

5/1(日)11:10〜12:00 
清瀬教会で
内容:「ネパール大地震被災地の現状」
講話:シスター川岡俊子(福音の光修道会)
参加費無料 
問合せ:Tel/042-491-0104

■キリスト教的ヴィパッサナー瞑想の一日

5/19(木)9:30(受付開始)〜16:30 
豊四季教会聖堂で(東武野田線・豊四季駅南口 9:15発車 当日教会バス運行) 
指導:柳田敏洋神父(イエズス会)
テーマ:「今、ここをあるがままに気づく」瞑想で、心の自由と平和を育みます 
どなたでも参加可能 
申込不要 
参加費:献金 昼食持参(当日の弁当事前申込可能)
問合せ:豊四季教会 Fax/のみ04-7144-7988
e-mail:nabeigunatio@gmail.com 渡邉泰男神父

■1泊2日の黙想会 「教会におけるマリア」

5/21(土)16:00〜5/22(日)14:00 
調布市マリアニスト宣教センターで 
指導:Sr.小林幾久子(汚れなきマリア修道会) 
費用:¥5,500(食事付き) 定員20名 
日曜日にはミサがあり 
対象:どなたでも 申込先:e-mail:marianist@marianist.jp
Fax/042-481-1644 
鈴木 e-mail:suzukih@ja2.so-net.ne.jp
件名に記入5/21まで申込下さい

■初台祈りの集い 

聖霊による信仰刷新セミナー
4/7〜6/2(5/5祝は休み)
毎週木曜日 13:00〜15:00 初台教会2階 
対象:受洗者で原則毎週参加できる方 
参加費:¥2,000(全8回分) 
テキスト代¥500会場費献金(自由) 
申込:会場受付で
問合せ:井之上Tel/03-3468-8221 e-mail:hatuinori@yahoo.co.jp
初台教会への問合せはご遠慮を

■麹町教会 オルガンと祈り

4/29(金・祝) 13:00〜14:00 
麹町教会主聖堂で
テーマ:「よろこびうたえアレルヤ」 
オルガン:浅井寛子(当教会オルガニスト) 
料金:自由献金
主催者:麹町教会オルガングループ
問合せ:麹町教会オルガングループ
e-mail:organ_to_inori@ignatius.gr.jp

■「沈黙のうちに神を求めて─観想の祈りへの道」 講演と祈りの実践

5/26(木) 7/21(木)14:00〜16:00 
麹町教会岐部ホール4階404号室で 
十字架の聖ヨハネの「霊の讃歌」からの講話後、一緒に沈黙で祈ります
指導:九里彰神父(カルメル会管区長)
どなでも 献金歓迎 
申込不要 問合せ:Tel/042-473-6287 篠原(11:00〜20:00)

■聖母病院ミサと聖書の集い

以下共通 
問合せ:聖母病院パストラルケア室 Tel/03-3951-1111(内線759)
◆ミサ予定 5/11 5/18 5/25(水)14:30〜
聖母病院大聖堂で 
司式:バレンタインデ・スーザ神父 5/4休み
◆聖書の集い 13:00〜14:15 ミサの前 
聖母病院大聖堂2階集会室で どなたでも参加可

■ベタニア祈りの集い「神のいつくしみ」

4/9(土)17:00〜4/10(日)16:00(1泊2日)
5/3(火)17:00〜5/04(水)16:00(1泊2日)
対象:独身女性信徒・求道者 
申込:ベタニア修道女会 聖ベルナデッタ第二修道院(〒165-0022中野区江古田3-15-2 
Tel/03-5318-5676 Fax/03-3387-1533)
http://www.sistersofbethany.info/

■いやしのためのミサ

4/10 5/8  6/12(第2日曜)14:00〜 
聖心女子大学聖堂で(渋谷区広尾4-3-1)
司式:小平正寿神父(フランシスコ会) パウロ・ヤノチンスキー神父(ドミニコ会) 
ミサ後に個人別祈りの時間帯有
問合せ:羽村Tel/03-3414-6940 
小平師 http://fraludo-ofm.at.webry.info/
ミサ詳細:http://home.a04.itscom.net/ictus/hm.html

■四谷祈りの集い 聖霊による生活刷新セミナー

4/10〜5/29(毎日曜日)17:00〜19:00(全8回)
岐部ホール309号室で 
参加費:¥2,000 
テキスト代:¥500
申込:4/10(日)17:00に直接会場へお越しください
問合せ:聖霊による刷新事務所 Tel/03-3357-8138 Fax/03-3357-9504 
e-mail:ccrj-hsro@sol.dti.ne.jp
http://www.sol.dti.ne.jp/~hsro/

■テゼの祈り:いつくしみという勇気 ─テゼからブラザーを迎えて─

4/15(金)19:00〜20:30 
幼きイエス会・ニコラバレ修道院聖堂で(四ツ谷) 
申込不要 
問合せ:黙想と祈りの集い準備会
e-mail:ui2001@nifty.com

■いやしのためのミサ 「おかえりミサ」

4/16(土)16:00〜ミサ 
4月と5月はいつもの場所が変わります 
問合せください
司式:晴佐久昌英神父(東京教区)
どなたでも参加可
問合せ:Tel/090-6526-8854(山田)

講座・研修会

■一般財団法人真生会館 森司教の講座と黙想会

以下共通 
申込・問合せ先:一般財団法人真生会館(〒160-0016新宿区信濃町33番地4)
Tel/03-3351-7121 Fax/03-3358-9700
e-mail:gakushu@catholic-shinseikaikan.or.jp
http://www.catholic-shinseikaikan.or.jp
各講座とも事前に申込 電話対応出来ない時間帯は、Faxにて受付 
講座会場への直接お問合せ等、連絡はご遠慮下さい

◆信仰生活を深め生きるために

4/16(土) 5/21(土) 6/18(土) 10:30〜12:00 
神田教会で
受講料:1回/一般¥1,000 学生・修道者¥800

◆〜映画に学ぶ〜ふるさとを追われた人たちの生き方を学ぶ

13:30〜16:30 
聖パウロ女子修道会で
4/9(土) 『イン・ディス・ワールド』 
7/2(土) 『約束の旅路』
受講料:1回/一般¥1,200 学生・修道者¥1,000

◆初心者のためのキリスト教入門

受講料:1回/¥500
火曜日19:00〜20:30 
4/12 4/19 4/26 5/10 5/17 5/24 6/14 6/21 6/28
神田教会で  
水曜日14:00〜15:30 
豊島教会で 4/13 4/20 4/27 5/11 5/18 5/25 6/15 6/22 6/29 

◆森司教とともに読む読書会

マリアの御心会で 
受講料:1回/¥500 
日程・課題本はホームページにて、又はお問合せ下さい。

■「信仰と生活」

小平正寿神父(フランシスコ会)
『1992年発行カトリック教会のカテキズムの学び方』〜「私は聖霊を信じます」〜
①4/13 4/27(水) 10:30〜11:30 信徒会館で
②4/19(火) 19:00〜20:00 修道院で
どなたでも参加可 
①と②は同内容
持ち物:「カトリック教会のカテキズム要約」
問合せ:田園調布教会Tel/03-3721-7271(9:00〜17:00)

■カトリック召命チームの講演

4/29(金)9:15〜4/30(土)14:00 
麹町教会ヨゼフホールで 
テーマ:年齢枠を超えた人の召命と識別
目的:司祭・修道者の召命の活性と養成上の問題を考える 
参加費:¥2,000/2日 ¥1,000/1日 当日参加可能 
申込:4/19前 
プログラム: 
4/29(金)午前:「年齢枠を超えた人の召命と識別」 
講師:松宮るみ子(コングレガシオン・ド・ノートルダム修道会)  田中昇(東京教区司祭)
午後:グループ別分かち合い 
4/30(土)午前:「召命の識別」パネルディスカッション 
教区司祭養成:白浜満(カトリック神学院長)
男子修道会:住田省悟(イエズス会修練院)
女子修道会:吹田眞佐子(聖心会)
13:00 感謝のミサ

■イエズス会霊性センター「せせらぎ」研修会のお知らせ

2016年度「祈りを深める研修会」
内容と日程 第1回 06/19(日) 祈りとは
第2回 07/24(日) 生活を素材に祈る
第3回 09/25(日) 自然を素材に祈る
第4回 11/20(日) み言葉を素材に祈る
第5回 2017年1/22(日) 意識の究明
第6回 02/12(日) 振り返りと祈りの同伴
対象:黙想によって日々の霊的生活を深めたいと願っている方で、
必ず全日程参加できる方。カトリック信徒に限りません。
定員:30名 
イエズス会無原罪聖母修道院(黙想)で(練馬区上石神井4-32-11)
申込:申込用紙を電話でご請求いただくか、ホームページよりダウンロードできます。
検索ワード「せせらぎ」 http://seseragi-sc.jp/
献金のご協力をお願いします
問合せ先:イエズス会無原罪聖母修道院(黙想) ―霊性センター「せせらぎ」―
Tel/03-3920-1158(9:00〜17:00)
e-mail:retreathouse.tokyo@gmail.com

■リーゼンフーバー神父講座

以下共通 
講師と連絡先:K. リーゼンフーバー(上智大学名誉教授) 
上智大学内S.J.ハウス Tel/03-3238-5124(直通)、5111(伝言):Fax/03-3238-5056

◆「土曜アカデミー」

夏学期テーマ:倫理と霊性の基礎づけⅡ: 近代・現代─理性の自律と心の愛─
4/09 クザーヌスⅠ:知ある無知(15世紀)
4/23 クザーヌスⅡ:神を観る:ベーメ(15、16世紀)
9:30〜12:00 麹町教会岐部ホール4F、404で

◆「キリスト教理解講座」

4/05 [基盤]存在の超越と内在 ─神理解への道
4/19 [人間] 人間:神の似姿 ─理性・自由・信仰
第1・3・5火曜日、18:45〜20:30
麹町教会信徒会館3階アルペホールで

■夏期神学・哲学講座

7/29(金)9:00〜8/7(日)17:00
日本カトリック神学院東京キャンパスで(〒177-0052 練馬区関町東2-7-10)
申込・問合せ:〒225-0011 横浜市青葉区あざみ野2-29-1 
カリタス女子短期大学内NPO法人臨床パストラル教育研究センター本部事務所
電話Tel/045-508-9107 e-mail:tokyo@pastoralcare.jp
講師:日本カトリック神学院教授陣、 全(10)科目
受講料:¥25,000 (部分受講可能:¥3,000/1科目)、
レポート評価費:(希望者のみ)¥1,500/1レポート、
振込先:郵便振込 00180-3-25413 臨床パストラル教育研究センター
夏期神学・哲学講座─講義予定表─
7/29(金) 神のいつくしみ 中野裕明 
7/30(土) 哲学思想史Ⅰ(古代、中世) 大山悟
7/31(日) 生命・医・死の倫理 井川昭弘
8/01(月) 旧約聖書 和田幹男
8/02(火) 新約聖書 山下敦
8/03(水) 善と悪 牧山強美(A)
8/04(木) 神論(三位一体論) 阿部仲麻呂
8/05(金) 神論(美について) 阿部仲麻呂
8/06(土) キリスト教的霊性 白浜満
8/07(日) 祈りとミサ 白浜満

■ビ・モンタント(登り行く人生の会)の講座等

下記の申込み・問合せ:ビ・モンタント東京事務所
(〒116-0013 荒川区西日暮里 5-27-4 エルアルカサルフジ305)
執務時間:火曜日14:00〜16:00 Tel/・Fax/03-3806-9877

◆4会場での勉強会

全会場同一条件13:30〜15:00
指導:泉富士男神父(東京教区)
会費:¥500程度 
申込不要
4/05(火) 立川教会で
4/12(火) ビ・モンタント東京事務所で
4/15(金) 高輪教会で
4/19(火) 三軒茶屋教会で

◆聖書通読講話会 〔四谷会場〕 

土曜日 13:30〜15:00
イエズス会岐部ホール306室で
4/2 「キリストの復活」鈴木信一神父(パウロ会)
4/9 「列王記」泉富士男神父(東京教区)
世話人:浜端 Tel/042-623-1469
〔関口会場〕 
4/6 4/20(水)10:30〜12:00
「諸預言者」泉富士男神父(東京教区)
東京カテドラル関口教会構内カトリックセンターで

◆パッチワーク・キルト同好会

4/14(木)11:00〜15:00
ビ・モンタント東京事務所で 
ホスピスのベッドカバー作り 
会員外もふるって参加を
世話人:宮木 Tel/042-575-2335

◆月例散策会

4/13(水)10:30 
JR目黒駅西口改札口集合
行先:目黒教会及び目黒川周辺と美術館など
世話人:田垣 Tel/03-3999-1209

◆気楽に絵を描く会

4/6 4/20(水)13:30〜17:00 
ビ・モンタント東京事務所で 
指導:池田道明先生 (カトリック美術展に参加 Tel/03-3892-5412)
水彩・パステル・絵手紙等
会費:¥1,000/月(画材自己負担)
世話人:野村 Tel/03-3394-5778

◆聖句を毛筆で楽しむ会

4/7(偶数月第1木曜日)
ビ・モンタント東京事務所で
5/7(奇数月第1木曜日)
立川教会で
13:30〜15:00 
会費:¥500
担当司祭:泉富士男神父(東京教区)
世話人:片島 Tel/042-523-0810

■信徒の月例会 

要理書(カテキズム)を読む その2:典礼と秘跡
4/16(土)14:00〜(16:00主日のミサ)
麹町教会アルぺホールで 
指導:岩島忠彦神父(イエズス会)
その2:典礼と秘跡 
テーマ:キリスト教の礼拝 テキストとして「YOUCAT」(カトリック中央協議会)を使用 
申込不要 
問合せ:Tel/03-3263-4584

■キリスト教的視点に基づく講座“創造への道”

4/16(土)14:00〜15:30
白百合女子大学で(京王線仙川駅徒歩10分)
講師:星野正道(本学宗教科教授・司祭) 
テーマ:神のいつくしみに生きる リジューの聖テレーズ 
神のいつくしみ深い愛にいけにえとしてわが身を献げる祈り① 
費用:通年全8回(前期・後期)¥6,400
半期 全4回(前期のみ又は後期のみ)¥3,200
当日1回のみ¥1,000 
受講資格:どなたでも
申込・受講料納入:当日会場受付にて 
問合せ:白百合女子大学 教務部資格課程課 Tel/03-3326-5762 http://www.shirayuri.ac.jp/shogai/shukyo/index.html

■テイヤール・ド・シャルダン研究読書会

4/2 4/16 5/21(土)14:00〜15:00 
吉祥寺教会で
テーマ:「人間の未来」 
講師:美田稔氏(テイヤール翻訳家) 
教材:当方で用意(テイヤールの「人間の未来」ある方は持参)
参加無料 申込不要
問合せ:Tel/03-3332-8866 竹田誠二

■松浦悟郎司教(名古屋教区長)講演

5/8(日)14:30~17:00 
聖心侍女修道会五反田修道院で 
テーマ:「今、いのちを守るために日本社会に生きるキリスト者として問われていること」
会費:無料 
問合せ:Tel/03-3441-6301聖心侍女修道会 音楽会

■クープマン神父演奏によるピアノコンサート

5/05(木)13:30開場 
日暮里サニーホールで
5/15(日)13:00開場 
広島エリザベト音楽大学ザビエルホールで
5/20(金)18:30開場 
横浜市泉区民文化センターテアトルフォンテで 
いずれも東日本大震災復興支援のためのチャリティーとして (協賛 カリタスジャパン) 
曲目:(バッハ)パルティータ第1番変ロ長調 (ベートーベン)
ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109(サミュエル・バーバー)
ピアノ・ソナタ作品26変ロ長調など他
入場料:東京¥2,500 広島¥2,000 横浜¥2,000
問合せ:Tel/090-7268-2667(西舘)
e-mail:candycandy1113@nifty.com
5/7(土)17:15開演 
洗足教会聖堂で 
自由献金
問合せ:洗足教会受付(川本) Tel/03-3726-7108

■第24回 マザアス東久留米コンサート (声楽アンサンブル“リーダーターフェル”)

4/17(日)14:00開演 13:30開場
社会福祉法人マザアス東久留米で(東久留米市氷川台2-5-7 Tel/042-477-7261) 
出演:指揮 田中理恵子 ピアノ:宮崎充公梨 
司会:田部善樹 ソロ:横田圭亮(bas.) 
ゲスト:相田南穂子(リードオルガン&合唱) 
合唱:リーダーターフェル混声合唱 
曲:オープニング:“花の街”“川の流れのように”他 “マザアスの歌”志賀妙子作詩 橘直貴作曲
問合せ:Tel/080-3588-4322 田部 e-mail:jijiandreiko@gmail.com

■聖グレゴリオの家賛助会チャリティーコンサート

(聖グレゴリオの家 活動支援のために)
静かな祈り〜3人の声で紡ぐ遥かなる詩(うた)〜 
CAPPELLATTE 針ヶ谷伸子・森川郁子・田中理恵子
4/16(土)15:00開演 
聖グレゴリオの家聖堂で(東久留米市氷川台2-7-12) 
プログラム:栄光の聖母よ、アヴェ マリア、アメイジング グレイスほか
チケット:前売¥2,500 当日¥3,000
問合せ:聖グレゴリオの家 Tel/042-474-8915 Fax/042-474-8832
http://www.st-gregorio.or.jp/

■祈りのコンサート2016 vol.2 「わたしの記念として、このように行いなさい」

~山内堅治神父様(聖パウロ修道会)より聖歌のレクチャーをいただいて~
5/29(日)13:30開場 14:00開演 
聖パウロ修道会 若葉修道院聖堂で 
プログラム:アヴェ ヴェルム コルプス、アヴェ マリアほか 
レクチャー:山内堅治神父 
作曲・ギター:原公一郎 
ソプラノ:北村梨里子 
入場料:\2,500
申込み・問合せ:AMS事務局 コンサート係
e-mail:ave.maris.stella777@gmail.com
Tel/090-1679-7079(原)
Fax/03-6279-9448(AMS事務局宛) その他

■手作りロザリオを習いませんか

5/15(日)10:00ミサ(清水神父)11:00〜17:00
ロザリオ教室(途中昼食) 
シャミナード修道院内の会議室で(千代田区富士見1-2-43 ) 
担当:中村力範ブラザー (ロザリオ作り講師)古畑
費用:参加費¥1,000+材料費(実費)
昼食持参 
ビーズと針金で(手首に付けるタイプです)作ります
お持ちの方はペンチ等持参ください。ない方はお貸しします。
申込・問合せ:e-mail:935furuhata@gmail.com (件名にロザリオ参加と明記)

■ロゴス点字図書館 チャリティ映画会のご案内

6/1(水)19:00〜20:40(開場18:30) 
なかのZERO大ホールで 
作品:「奇跡のひと マリーとマルグリット」(2014年フランス映画 字幕版)
視覚障害者用音声ガイド付き上映
入場料:¥2,000(全席自由当日券も同額)
申込・問合せ先:社会福祉法人 ぶどうの木ロゴス点字図書館 
Tel/03-5632-4428 Fax/03-5632-4454

■高山右近の信仰と茶の湯

4/30(土) 
麹町教会岐部ホール309室で
講師:高橋敏夫牧師(表千家茶道教授) 
参加費無料 
自由献金 
終了後呈茶 
問合せ:Tel/042-476-8137(和栗)

■学びのために

以下共通 
問合せ:オリエンス宗教研究所 Tel/03-3322-7601 Fax/03-3325-5322
http://www.oriens.or.jp/

◆カトリック通信講座

1972年開設以来の信頼と実績。『聖書入門〔Ⅰ〕』のコラムには、Sr.渡辺和子も登場。
<全7講座>
T001 キリスト教とは キリスト教の概要
T002 聖書入門〔Ⅰ〕四福音書(イエスの生涯)
T003 キリスト教入門 秘跡や信仰生活(洗礼準備にも) T004 神・発見の手引 人生、自然を通して神へ T005 聖書入門〔Ⅱ〕使徒言行録・書簡・黙示録
T006 幸せな結婚(昨年春、リニューアル)結婚の意味や愛、幸福
T007 生きること・死ぬこと 命に関する問題 受講料=(教材費・税込)
T001〜T004 各\4,800 
T005〜T007 各\5,300円
お申込み:郵便振替用紙にご希望の講座名・講座番号(T001〜T007)をご記入のうえ、
下記にお振込みください。入金確認後教材をお送り致します。
振替口座番号:00170-2-84745 加入者名:オリエンス宗教研究所

◆『こじか』〜子どもたちとともに主日の福音を〜

わかりやすいと好評の主日の福音解説を中心に、
多彩な記事で子どもたちにイエスさまのまなざしを伝える「こじか」。
1部から発送可。
毎週日曜日発行(年44週)B5判・16頁(ふりがなつき)定価\65+税(送料別) 
15部以上のご注文は\55+税 
国内年間定期購読1部\4,100/2部\7,400(税・送料込、2部の価格は同じ発送先の場合)

「VIVID」情報掲載の申込み方法

5月号(No.332)▶5月1日(日)配布 掲載希望原稿の締切り3月27日(日)
6月号(No.333)▶6月5日(日)配布 掲載希望原稿の締切り5月01日(日)
申込み
必要事項を記載の上、郵送かFaxまたはEメールで下記へお送りください。 締切り日を過ぎたもの、内容が教区ニュースにふさわしくないと、判断されたものについては掲載しないことがありますので、予めご了承ください。掲載無料。 連続掲載をご希望の場合も月ごとにお送り下さい。

送り先〒112-0014 文京区関口3-16-15 カトリック東京教区事務局 
広報部 tel:03-3943-2301 fax:03-3944-8511 e-mail:vivid@tokyo.catholic.jp

東京大司教区司祭人事について・第3次

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東京教区の皆様

2016年3月23日付けで、サレジオ会管区長・山野内倫昭師より、サレジオ会会員の人事異動の報告がありましたので、お知らせします。

東京大司教 岡田 武夫

2016年度司祭人事異動   (氏名の右のカ ッコ内は現任務・所属)

調布教会主任司祭  ピオトル   ソ-リヒ師 (大分教区小林教会より )

足立教会協力司祭  藤川  長喜師 (調布教会主任司祭 ) 

尚、ソ-リヒ師が 4月3日付で移動を完了し、藤川師が4月10日付で、移動なさるとのことです。

以上

東京大司教区司祭人事について・第2次

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東京教区の皆様  

東京教区では、2016年度の司祭の人事異動・第2次を以下のように決定しましたので、お知らせします。  移動は、原則として、3月27日の復活祭後、すみやかに行なってください。皆様のご協力をお願いいたします。  尚、他の小教区人事に関しては、適宜、お知らせいたします。          

  東京大司教  岡田 武夫           

2016年度司祭人事異動 

(氏名の右のカッコ内は現任務・所属)

教区本部事務局次長・聖園幼稚園園長・本郷教会 教会管理者                  

浦野 雄二師     (本郷教会 教会管理者)

関口教会助任司祭・本部典礼祭儀担当・本郷教会協力司祭等 (原則として、関口教会に居住)

古郡 忠夫師     (成城教会助任司祭)

※ 但し、「東京大司教区司祭人事について・第1次」でもお知らせしましたように、成城教会・新主任司祭である山本量太郎師が着任する2016年5月末まで、成城教会に居住し、同教会助任司祭を続けます。

さいたま教区へ転任        

オリビエ シェガレ師 (本部協力司祭)   

以上


灰の水曜日ミサ説教

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2016年2月10日 東京カテドラルにて

[聖書朗読箇所]

説教

ヨエルの預言で主は言われます。  
「今こそ、心からわたしに立ち帰れ、断食し、泣き悲しんで。衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け。」(ヨエル2・12-13)  
四旬節は回心のとき、回心とは心を主なる神へ向けなおすことです。神はパフォーマンスではなく心からの悔い改めを求めています。  
聖書を読むとたびたび「衣を裂く」という表現に出会います。強い心の動きを表す動作を示しているようです。  ヨエル書の言う「心を引き裂け」という表現は、見せかけではない心からの回心、心から悲痛な思いで神に立ち帰ることを意味していると思います。  
今日の第二朗読からは次の言葉が強く響きます。  
「神と和解させていただきなさい。」(2コリント5・20)  

わたしたちは主キリストによって贖いの恵みを受けています。神との和解は、自分の力、自分の行いによってはできません。ただ主キリストに心を開き、キリストを通して与えられる神のいつくしみを受けることによってのみ可能となるのです。  
今日の福音は毎年同じ個所、マタイ6章、「見てもらおうとして、人の前で善行しないように注意しなさい」というイエスの教えです。  
イエスは、人の「偽善」を咎めています。わたしたちは偽善という問題をもっていないでしょうか。心と動作の間にブレとか不一致はないでしょか。  
「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない」とイエスは教えています。  
今日、灰を頭に受けながら此の点を反省したいと思います。  

さて四旬節は特に「施し」ということが勧められます。施しという善い行いには、身体による善い行いと精神的な(spiritual)な善い行いがありますが、本来両者は一体となるべきものです。  

教皇フランシスコは「いつくしみの特別聖年」で述べています。  
「わたしの心からの願いは、この大聖年の間にキリスト者が、身体的な慈善のわざと精神的な慈善のわざについてじっくりと考えてくださることです。・・・  
身体的な慈善のわざをあらためて見てみましょう。飢えている人に食べさせること、渇いている人に飲み物を与えること、着る物をもたない人に衣服を与えること、宿のない人に宿を提供すること、病者を訪問すること、受刑者を訪問すること、死者を埋葬すること、これです。  
さらに、精神的(spiritual)な慈善のわざも忘れてはなりません。疑いを抱いている人に助言すること、無知な人を教えること、罪人を戒めること、悲嘆に打ちひしがれている人を慰めること、もろもろの侮辱をゆるすこと、煩わしい人を辛抱強く耐え忍ぶこと、生者と死者のために神に祈ること、これです。」(15項より)  

この教えは仏教の「布施」という教えを思い出します。非常に参考になる教えです。互いに相通じる教えではないでしょうか。  
この機会に、「施し」ということをしっかりと受けと止めたいものです。

世界病者の日ミサ説教

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2016年2月11日  東京カテドラルにて

[聖書朗読箇所]

説教

今日の世界病者の日のミサの福音として選んだ箇所はヨハネの福音の9章、生まれつき目の見えない人がイエスに、目を開けていただいた次第を物語る箇所です。
当時、病気や障害は罪の結果である、という考えがありました。今日の箇所をさらに読み進めると、ファリサイ派の人が目を開けてもらった人を罵って言っています。
「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか。」(ヨハネ9・34)
弟子たちは、イエスに尋ねました。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」(ヨハネ9・2)
イエスは次のように答えました。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」(ヨハネ9・3)
イエスは罪と障がいの因果関係を明確に否定しました。生来目が見えない人の障がいは、本人の罪のためでも先祖の罪のためではない、と断言したのです。イエスは原因追及という視点からではなく、目的という視点で答えています。

「神の業がこの人に現れるためである。」

いまわたしたちは「いつくしみの特別聖年」を祝っております。
教皇フランシスコは「いつくしみの特別聖年」を布告する大勅書「イエス・キリスト、父にいつくしみのみ顔」のなかで、神が抱く「はらわたがちぎれるほどの」と表現される神の愛を語っています。この愛は人となった神イエス・キリストの生涯にはっきりと現されました。
イエスは御自分に従う群衆が、疲れて力尽き、迷い、牧者のいない羊のような状態にあるのを目の当たりにして心のから、彼らに深いあわれみを覚えました。(マタイ9・36参照)
ナインというところで、で一人息子を亡くした母親の葬儀の列に出会ったイエスは、涙にくれる母親の深い悲しみに心から共感し、死んだ息子を蘇らせたのでした。(ルカ7・15参照)
また悪霊に憑りつかれたゲラサの人をあわれみ、男を悪霊の絆から解放して自由にし、自分の家に復帰させました。(マルコ5・18参照)
イエス・キリストによって現れた神の愛はわたしたちの苦しみ、悲しみ、痛み、辛さへの深い関心、同情と共感、そして苦しみから解放する強い意志を示しています。

今年の新年の教皇平和メッセージ冒頭は次のような言葉でした。今年のメッセージの冒頭のことばは非常に印象的です。
「神は、無関心ではありません。神は、人類を大切にしてくださいます。」無関心ではないだけでなくさらにわたしたちへ「はらわたがちぎれるほどの」愛を抱いてくださっているのです。

「神の業がこの人に現れるためである。」
神の業はどのようにして現れるのでしょうか。わたしたち全員、神の協力者として招かれています。神のいつくしみを受け、神のいつくしみを伝え行うべきもの、それはここにいるわたしたちです。

第一朗読を振り返りましょう。
「若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。」(イザヤ40・30-31)
いつも主のいつくしみに信頼して望みをもって歩みものでありたいです。

第二朗読は、ヤコブの手紙です。病者の塗油の秘跡はこの教えに基づいています。病者のために祈り、また病者の油の塗油をすることは大きな慰めと癒しをもたらします。正しい人の祈りは、大きな力をもち、効果をもたらします。
今日はルルドの聖母の日です。聖母の取次を願いながら、病気、患い、苦しみ痛みを担われた方々のために、神のいつくしみと癒しの恵みを祈り求めましょう。

四旬節第一主日・洗礼志願式説教

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2016年2月14日 関口教会にて

[聖書朗読箇所]

説教

荒れ野においてイエスは40日間にわたり悪霊から誘惑を受けました。三つめの誘惑は、「神である主を試す」と」いう誘惑です。
「神である主を試す」とはどういうことでしょうか。それは本当に主がともにいてくださり、守ってくださるだろうか、と思い、疑いを抱いて、不信仰に陥る、ということです。かつてイスラエルの民はモーセに率いられて、荒れ野でさまよい、水も食べ物もない状態に耐えかねて民は「果たして、主は我々の間におられるだろうか」と言って、モーセと争い、主を試みるに至ったのでした。(出エジプト17・1-7参照)
主がモーセを遣わして民を救おうとしていること、神は力ある神、いつくしみ深い神であることを疑ったのです。
その結果イエスらエルは安息に入るためには40年間の償いのときを課せられるにいたったのでした。
さて今日の福音で出てくる悪魔の誘惑の話です。
そもそもなぜ神殿の上から飛び降りる、という思いが出てくるのか。そのような派手な場面を作って人々の喝采を博したいのだろうか。神が本当にいつもともにいてくださるということを確かめるために行うということだろうか。
いずれにせよ、この言葉、「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。 というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる』(ルカ4・9-10)という誘いにのることは、神への信頼が揺らいでいる、あるいはなくしている心の状態以外何物でもありません。
悪魔は詩篇の言葉(本日の答唱詩編)を使ってイエスを誘惑したのでした。
「現代の荒れ野」ということがしばしば言われます。荒れ野は生きるに過酷で、不毛な環境の世界であります。
イエスは昇天に際して、「わたしは世の終わりまであなた方とともにいる」と言われました。しかし、どこに、どのようにして、ともにいてくださるのだろうか。このような思いを抱き、主が守ってくれるかどうか試すために何を思い、何かをするとしたら、それはまさに「あなたの神たる主を試みる」ことに他ならないことになってしまうのではないでしょうか。信頼しているなら試みるはずではないからです。
「主の祈り」の「わたしたちを誘惑に陥らせず、悪からお守りください」という言葉は不信仰への誘惑からわたしたちを守ってください、という思いが込められた祈りです。不信仰への誘惑は悪の霊から来るのであり、またわたしたちの欲望から生まれるのです。
今日の申命記は、イスラエルの民が40年の試みの期間を終えて約束された地に入り、神が先祖たちに行われたいつくしみのわざを想起し、感謝している場面であります。

第二朗読、ローマ書は、「口でイエスは主であると公に言い表し、こころで神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるのです」(ローマ10・9)と述べ、信仰告白の重要さを強調されています。
今日、洗礼志願式に与る皆さんはいま「信条」を唱えて信仰告白をしようとしています。生涯にわたり、この信仰告白を固く保ち守り強め、そしてその信仰を多くの人に宣べ伝え証ししてください。

四旬節第二主日・パウロ野口邦大助祭叙階式

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2016/02/21成田教会にて

聖書朗読箇所

第一朗読 創世記15・5-12、17-18
第二朗読 フィリピ3・17~4・1
福音朗読 ルカ9・28b-36

 

ホミリア 

今日は四旬節第二主日。この日のミサの福音は毎年、山の上でイエスの姿が真っ白に光り輝いた、いわゆる「主の変容」の場面です。今日、このミサの中で助祭叙階を受ける野口邦大神学生は、変容のイエス様のように光り輝いて見えるでしょうか?五年間の神学院での修練を終え、助祭叙階の日を迎え、まさに「ピカピカの新助祭」という感じですね。  
ただし、このイエスの光り輝く姿はただ単にピカピカしていたというのではありません。本当のイエスの輝きがどこにあるのか、そのことを今日の福音をとおしてご一緒に考えてみたいと思います。  
この出来事は受難予告の後、すぐに起こりました。ルカ福音書によれば、イエスが旧約聖書を代表する二人の人物、モーセとエリヤと話し合っていた内容は、「エルサレムで遂げようとしておられる最期について」だったと言われています。この出来事はイエスのこれからの受難の道、十字架の死に至る道と結ばれています。そこから分かることは、このイエスの栄光の姿は受難と死をとおしてイエスが将来受けることになる復活の栄光だということです。四旬節のはじめに、この復活の栄光のイエスの姿を見つめながら、イエスとともに精一杯神に信頼し、人を愛する道を歩んでいこう、それが今日の典礼の呼びかけです。  
野口さんも今日は「おめでとう」とみんなに言ってもらえるけれど、これからたいへんですね。神学生のうちはどの教会に行っても期待され、だれからも愛されます。でも助祭になり、司祭になるに従って、だんだん困難なことに直面します。そんなとき、「仕えられるためではなく仕えるために来られた」キリストにしっかりと従っていきなさい。そうしたらイエスとともに栄光に入ることが約束されています。もちろんその通りです。じゃあ、その歩みの中で何を大切にしていったらいいのか、今日のイエスはなぜ光り輝いているのか、今日の福音には大切なヒントがあります。  
イエスは「祈るために山に登られた」とあります。また「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に光り輝いた」とあります。この祈りがヒントなのです。実は今日の変容の場面とよく似た場面があります。それはイエスの活動の出発点になったヨルダン川での洗礼の場面です。  
「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」(ルカ3・21-22)  
今日の箇所で雲の中からの声は「これはわたしの子、選ばれた者」でした。洗礼のときの天からの声とよく似ています。内容としては同じことだとも言えるでしょう。洗礼のときもイエスが「祈っておられる」とこの「あなたはわたしの愛する子」という声が聞こえたのです。  
洗礼の出来事は、イエスのこれからの歩みが神の愛する子としての歩みであることを表しています。そして、変容の出来事は、イエスの受難への道もまた神の子としての歩みであることをはっきりと示しているのです。そしてこれをイエスは祈りの中で受け取りました。本当にこの祈るイエスにならいたいと思います。祈りの中で受け取るべき大切なこと、それは2つあります。  
一つは「おまえはわたしの愛する子だ」という神の声です。父である神がわたしを愛してくださっているということ。何があろうと神はわたしを決して見捨てないこと。このことをいつも祈りの中で受け取りたい。  
もう一つは「神はわたしを選んでくださっている」ということ。今日の福音では「選ばれた者」という声がありました。「神の選び」については、預言者イザヤの召命の場面を思い出します。イザヤは神の栄光の現れに接し、そこで「誰を遣わすべきか。誰がわれわれに代わって行くだろうか」という神の声を聞きました。イザヤは答えます。「わたしがここにあります。わたしを遣わしてください」(イザヤ6・8)。それは預言者イザヤが祈りの中で神の選びを感じた体験だったと言えるでしょう。  
フランシスコ教皇のモットーは「あわれみ、そして選んだ」という言葉です。これは徴税人マタイの召命の箇所からインスピレーションを得た言葉です。イエスは彼をいつくしみに満ちた愛をもって見つめ、そして彼を選ばれ、ご自分の使徒として使おうとされたのです。フランシスコ教皇にとって、自分が司祭として、司教として、教皇として選ばれたことはそういうこと。祈りの中でそう感じ、受け止め、教皇職を引き受けておられるということでしょう。  
わたしたちは祈りの中で、いろいろ神に訴えます。現実はこんなに悲惨です。人々はこんなに苦しんでいます。わたしは罪深く無力な人間です。神様なんとかしてください。…でも祈りの中の答えは、「おまえがいる。わたしの救いを人々にもたらすためにおまえが必要だ」というものではないでしょうか。預言者イザヤも、徴税人マタイも、フランシスコ教皇も、その神の呼びかけを聞いて応える道を選んだのだと思います。野口邦大さんもこの神の呼びかけに答えて、司祭になろうと思い、今日まで歩んできました。これからもずっとその思いを大切にしてください。祈りの中で、自分が神から愛されていること、自分が神から必要とされていること。そのことをしっかりと受け取りながら、歩み続けてください。  
お集まりの皆さんに是非、分かってほしいと思います。野口邦大さんが光り輝いて見えるとしたら、それは彼が「神はわたしを愛し、わたしを必要としている」と気づいたからです。本気でそう受け取った時、その人の人生は光り輝きます。わたしたち皆が、特に若い人たちが、その神の呼びかけ、「わたしはあなたを愛している、あなたが必要なのだ」という声を祈りの中で受け取ることができますように。アーメン。

日韓青年交流会派遣ミサ説教

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2016年2月22日、聖ペトロの使徒座、目黒教会にて

[聖書朗読箇所]

挨拶と説教

日韓青年交流会は今回が第22回の開催です。残念ですが今回をもちまして一旦途切れることとなります。交流会を担当してくださった司祭の皆さん、ご指導ご支援ご協力くださった皆さん、参加してくださったすべての皆さんに厚く御礼申し上げます。
今日は聖ペトロの使徒座の祝日です。韓国のカトリック教会も日本のカトリック教会もともに同じ聖ペトロの使徒座であるローマの教会のもとにあり、互いに姉妹教会としての交わりを結んでいます。この交流会はその交わりの絆を深め強めるためによい機会でありました。交流会の再会を希望します。
主イエスは言われました。
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」。(ヨハネ15・12)
互いに愛し合うとは互いに相手を大切に思い、尊敬し、赦し合い、受け入れ合うことです。
今日の第一朗読で使徒パウロが教えているように、わたしたちは同じキリストの「からだ」の一部です。お互にそれぞれの役割を持っています。お互いの違いを尊重し、交流し協力し一致するよう努めましょう。自分以外の人を、自分にはない優れた賜物に恵まれた人として尊重するように致しましょう。この掟は個人の間だけでなく、国と国、民族と民族の間にも当てはめられます。
わたしたちは、互いの文化の違いを尊重しなければなりません。両国の間には大変残念な歴史があります。日本国民は過去の過ちの事実を真摯に見つめ、心からの反省をし、お詫びをしなければなければなりません。
世界中のカトリック教会はいま『いつくしみの特別聖年』の時を過ごしています。「いつくしみ」は「愛」と重なる言葉です。わたしたちは天の父がいつくしみ深いようにわたしたちもいつくしみ深い者でなければなりません。
神の似姿である人間、イエス・キリストによってあがなわれた人間はすでに神の愛に包まれたかけがえのない存在です。欠点、罪、問題があるわたしたちを神は赦し受け入れ大切にしてくださいます。その神の愛は主イエスによって完全に現されました。主イエスに倣うものとしてともに歩みましょう。
主イエスがわたしたちを癒し慰め助け励ましてくださいますよう、祈ります。
アーメン。

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